「牛をもまたぐ巨人」と言われた大空

 巨人は多くの場合、医学的に見れば先端肥大症にかかっている場合が多いとされ、体が成長するにともなって、顔、手足も大きくなっていく。生月が16歳頃、釈迦ヶ嶽が19歳頃の手形なので、両力士とも後年はもっと大きくなったと考えられる。そしていずれの力士もそうだが、手形は手に墨をつけて和紙に押したものであるから、実際の手はさらに大きいことになる。

 ちなみに長身ベスト3は完全な看板力士。生月は天保15(1844)年10月場所から嘉永3(1850)年3月場所までの12場所間、1人土俵入りを演じ、江戸っ子たちを喜ばせた。大空は牛をもまたぐ巨人ということで、別名「牛股」とも呼ばれた。しかし見世物的存在を嫌って、1人土俵入りを行ったことはあるものの、番付面には登場せず終わった。

角界史上、最も身長の高かった生月。その大きさを表現している錦絵

 龍門も江戸では、文政11(1828)年10月場所の1場所だけ幕内に張り出されたが、土俵に登場したかどうかは、よく分かっていない。京・大坂相撲では1人土俵入りを披露したこともあるという。

 4位の釈迦ヶ嶽は大鳥井のしこ名で明和5(1768)年に大坂相撲の看板大関に付け出された。7年11月場所に江戸に出て釈迦ヶ嶽と改め、ここでも大関に付け出された。同場所では6勝1預かり*1という好成績を収めた。それなりに強豪力士だったようで、バランスのとれた巨体だったことが想像できる。

*1:昔は取り直し制度がなく、物言いがつき両力士がほぼ同体の場合は、協会が未決のまま勝負を預かったこと

 6位の白真弓は嘉永6(1853)年11月場所に欄外に張り出されて1人土俵入りを行った。当初は相撲を取らず客寄せの看板力士だったが、7年11月場所に正式に入幕。最高位は前頭筆頭だった。