出羽ヶ嶽の手形はジャイアント馬場を大きく上回る

 公式発表では大正から昭和初期の出羽ヶ嶽は206cm、昭和20年代〜30年代の不動岩と大内山はそれぞれ212cm、203cmとなっているが、本当はそれより2〜3cm高かったといわれている。

大正末期から昭和初期にかけて“大巨人”として絶大な人気を誇った出羽ケ嶽

 プロレスのジャイアント馬場は公称209cmだが、プロレスはかつての江戸時代の看板力士同様、巨大な体を実際よりややオーバーに表現する。戦前の元三段目力士で、戦後は相撲やプロレス、そして演芸の評論家として活躍した小島貞二氏から話をうかがう機会があったが、「実際は206cm」と馬場本人から吐露されたという。

 小島氏の身長は、昔でいうちょうど6尺(約182cm)。「並んだ感じでだいたい相手の身長が判断できる」とのことで、「ジャイアント馬場より、大内山のほうが大きいように感じた」と語っていた。従って上記の長身ベスト10の身長は、相撲協会の公式発表とはやや異なり、筆者なりの判断で修正を加えて作成した。

 大内山とジャイアント馬場の手形はタテ22.6cm、ヨコ11cmと全く同じサイズ。大巨人として大正から昭和初期に世間の耳目を集めた出羽ヶ嶽ともなると、タテ24.7cm、ヨコ11.4cmと、両者を大きく凌駕している。

 江戸時代の巨人力士に至っては、いずれもタテ25cm以上、ヨコ12cm以上。大空、竜門、がタテ27cm、釈迦ヶ嶽、生月、九紋龍がタテ26cm。平成以降で一番長身の曙がタテ22cmだったことを思えば、約200年前のジャイアントたちの手形がいかに雄大だったかが分かる。