江戸時代にいた客寄せの長身力士「看板大関」
意外なことだが破格の長身を誇る力士は、昔の力士ばかりとなってしまう。特に江戸時代は看板大関という制度があり、相撲の実力はなくとも体が大きいというだけで客寄せのために大関に付け出され、1人土俵入りを行う力士が多数存在した。
その後大関には、常に相撲の実力ナンバー1が番付に記載されるようになると、幕内に張り出されて1人土俵入りを行う例も見られた。看板力士はやや病的でスポーツに不向きな巨人も多く、顔見世だけで相撲は1番も取らなかったり、取っても幕下以下や看板大関同士で1番か2番取る程度だったりした。
江戸時代の男子の平均身長は155cm程度と言われている。そんな時代に多数の超長身力士が存在したことに、疑問を持たれる方も多いだろう。
手形、等身大の石碑から一定の信憑性
確かにその性質上やや誇張されている面は否めないが、手形や足型、そして等身大の石碑などが残っており、かなり信憑性は高い。逆に近年の巨人力士は、「大きいくせに弱い」と言われることを嫌い、身長を少なめに申告していた時代もあった。
昭和20年代まで、力士の身長・体重は自己申告だったこともあり、公式発表はかなりいい加減だった。昭和28年9月場所前に、相撲協会は関取全員を集めて史上初めて身長と体重の正式測定を行った。その時不動岩は背中を丸め、膝を曲げて測って212cmだった。
その後は自己申告に戻っていったが、昭和52(1977)年9月に、東京場所前に必ず行われる力士会で体格を測定することが義務付けられるようになった。従ってそれ以後の身長、体重はかなり正確になったことになる。