長身力士の減少はスポーツの多様化と関係か
7位の武蔵潟は文久3(1863)年11月場所から慶応元(1865)年11月場所まで看板力士として土俵入りだけで登場。その後二段目から正式に相撲を取り始め、明治7(1874)年3月場所入幕、12年1月場所で関脇に昇進した。取り口は不器用だったが、鯖折りを得意とし、相手力士が提灯をたたむように潰れたことから、「武蔵潟の提灯だたみ」と恐れられた。ちなみに武蔵潟は写真が現存する最古の巨人力士。伝えられている巨体を確認することができる。
9位の九紋龍は天明7(1787)年11月場所に看板力士として西大関に登場。その後実際に相撲を取り、三役や前頭を経験して35勝14敗1分1預の成績を残している。
不動岩は明治以降の最長身力士。しかし太らない体質だったこともあり、体重は最高で126kgとかなりスリムな体形だ。現在のようにスポーツの選択肢が多様な時代なら、相撲を選択しなかったと思われる。
出羽ヶ嶽は体重も200kg近くで相撲史始まって以来、最大の巨人として大正末期から昭和初期にかけて角界ナンバーワンの人気を誇った。
ビッグサイズの体はそれだけで人々を魅了する。今後は北青鵬の成長に期待したい。