(高世 仁:ジャーナリスト)
終わりが見えないウクライナ戦争。その実態を取材するため、10月下旬、激戦が続くウクライナの前線を訪ねた。
避難したくてもできない事情
前線取材のなかで私が驚いたことの一つは、砲弾がいつ落ちてくるかわからない危険な土地に今もなお多くの人々が暮らす現実だった。
ウクライナ南部ザポリージャ州。ロシア軍との一進一退の激しい戦いが続く最前線から6キロの地点にフリアポレという町がある。砲弾が直撃したのか、鉄骨がむき出しになった集合住宅、ドアや窓が爆風で吹き飛ばされた商店が道路沿いに並ぶ。ロシア軍の砲爆撃で町の建物の半数が破壊され、いたるところががれきの山だ。
この日は冷たい雨が降っていた。砲撃音がとぎれぬ町の通りに人影が見えた。雨合羽を着て自転車で荷物を運ぶ60歳代の女性だった。
廃墟と化したこんな町に人がいることに驚き、なぜ避難せずに町に残っているのか尋ねる。彼女は「わずかな年金しかないので避難できない」という。
年金は月に日本円で2万円弱。避難すれば公的な支援があるが、大人一人につき初めの3カ月が約2万3000円、4カ月目からはわずか約8000円だという。これでは避難先で暮らしていけないというのだ。
戦争への対応は、「自己責任」が基本なのだと知る。たとえ自宅に砲弾が落ちても、戦争は保険の免責事項だから補償はない。