連綿と続くユダヤ人の受難の歴史
アブラハムが始まりとなってイスラエル民族が誕生するも、やがて飢餓によってエジプトへの移住を余儀なくされてしまう。エジプトに定住したイスラエル人(=ユダヤ人)の増加を危惧した新しいファラオによって奴隷にされ、ユダヤ人はモーセに率いられてエジプトを脱出。40年さまよったのちに「約束の地」へ再び舞い戻ったという。
しかしその後もユダヤ人の受難は続く。アレクサンダー大王によって征服され、ギリシアがイスラエルの地を支配。ローマ帝国によって支配された際は、反乱も失敗に終わった。
敗れ去ったユダヤ人はエルサレムへの立ち入りを禁じられ、多くのユダヤ人が追放された。紀元七〇年から一九世紀後半まで、イスラエルの地には小規模なユダヤ人コミュニティが常に存在したが、彼らが大挙して帰還するのはほぼ二〇〇〇年後のことだった。
イギリスによる「ユダヤの祖国」建設支持とその余波
では約2000年後に何が起こったのか。
鍵になるのはイギリスの存在だ。オスマン帝国による支配を終わらせたイギリスが「ユダヤの祖国建設」支持を宣言したのだが、その祖国となる地が「パレスチナ」だった。
当時パレスチナには東欧での迫害やホロコーストを逃れたユダヤ人が大挙押し寄せており、もともとパレスチナに住んでいたアラブ人を追い出していた。この時点で幾度となくイスラエルの地を追われた「被害者側」のユダヤ人が、アラブ人を追放した「加害者側」に立ったことに気づかされる。
多くの場合、アラブ人の村や町は徹底的に破壊され、その住民が逃げるか追い出されるかしたのちに、基本的に地図から消し去られた。それ以外の場合、アラブ人の村の跡地にイスラエル人の新たなコミュニティが建設されることもあった。避難したアラブ人が故郷に帰ることは許されなかった。