秋の味覚が生鮮食料品売り場を彩るシーズンの真っ最中だが、その「代表格」といえばなんといってもマツタケだろう。庶民にはおいそれと手を出せない高級品だ。
だが実はマツタケは昭和40年代前半あたりまで庶民の食卓に上ることも珍しくなかった。現在ほど高価な食材ではなかったのだ。
それがなぜ高級品になったのか? マツタケ消費の歴史を紐解き、そして一般人が知らないマツタケの謎も解明していきたい。
【参考】
意外に知られていないマツタケ、その研究に人生を捧げた研究者の物語(2)〈岩手をマツタケの本場に変貌させた微生物生態学者の奮闘〉
意外に知られていないマツタケ、その研究に人生を捧げた研究者の物語(3)〈希少な国産マツタケ、知られざる流通ルートに迫る〉
“本場”の「丹波まつたけ」も激減
日本人がいつごろからマツタケを食べていたのかははっきりしていないが、三条実房の「愚昧記」や藤原定家の「明月記」には公家たちがマツタケ狩りをしている様子が記されているので、平安時代後期から鎌倉時代にはすでに食べられていたようだ。
そして、公家文化の名残りか、その後もマツタケを食する歴史の中心だったのは京都だった。京都では現在でもマツタケ料理の有名店が賑わいを見せ、秋にマツタケを食する風習が残っている。
また関西では、マツタケと牛肉のセットがお世話になった方へ最高の贈答品とされている。貰った側はこれをすき焼きにして食べるのだが、割り下を使わない関西風のすき焼きはマツタケの独特の匂いが鼻腔を刺激し、食欲を増進させる。
ところが現在、「丹波マツタケ」が有名だった京都では、マツタケの収穫量が激減。代わって長野や岩手のマツタケが市場の主流を占めるようになっている。
一方、海外に目を向けると、日本産とほぼ同じ遺伝子を持つマツタケは、北欧や中国、朝鮮半島でも見られるが、日本ほど珍重はされていない。それどころかヨーロッパでは日本人が愛してやまないマツタケの香りを嫌な匂いとして毛嫌いしているというのだから、人間の感覚というのは分からないものだ。