どこまでが病気でどこまでが人格なのか?
──2023年4月の時点で、全国35カ所の医療観察法病棟には、男女合計で789人の対象者が入院しており、そのうち663人が「統合失調症、統合失調症型障害および妄想性障害」に分類されると書かれています。同時に、この本でも繰り返し、多くの統合失調症患者は危険ではないとも書かれています。ただ、暴力性や、暴力衝動を持つ人が、妄想性の精神疾患を発症した場合、論理的に飛躍のある暴力が発生する可能性が高くなるようにも感じました。この辺が「心神喪失」と判断される分岐点になるのでしょうか。
里中:非常に難しいところです。どういった人が心神喪失と判断されるのかは厳密には分かりません。もしかしたら、全くそれ以前には暴力性のなかった人が、病気のために、事件を起こすということもあるのかもしれません。
どこまでが病気で、どこまでがその人の人格か、ということもはたしてどの程度見分けることができるのか。たとえば、事件を起こした時に「どこまで入念に犯行の準備をしていたか」といったことも裁判では争点になるのかもしれません。
また、心神喪失と心神耗弱で判断も変わりますが、ここも線引きは非常に曖昧なところだと思います。最終的に判断するのは裁判官ですが、裁判官は鑑定医の意見を参考にして判断する。しかし、必ずしも鑑定医の意見だけに基づいて判断するわけでもないと思います。

──治療の過程にある「内省プログラム」がいかに対象者にとって過酷かという点についてページを割かれています。「内省プログラム」とは何か、なぜ「内省プログラム」がつらいのか教えてください。
里中:「内省プログラム」とは、自分が起こした事件を対象者に振り返ってもらい「その時自分はどういう状態だったのか」「どういう過程でそのような状態に至ったのか」「再び同じようなことをしないためにはどうしたらいいのか」ということを専門医と一緒に考えていくプログラムです。
前述のとおり、医療観察法ができる前は、現在の対象者にあたる人は、普通の精神科病院に措置入院という形で収容され、治療を受けていました。場合によっては余生ずっとそこに滞在することになった人もいたようですが、そういった場合、その人が起こした事件を本人と振り返るということはしなかったそうです。
しかし、医療観察法が施行されてからは、社会復帰を目指して医療観察法病棟で治療が行われる。こうなった場合、事件の経緯を自分で自覚しないと再他害の可能性は減らせない。そこで、この内省プログラムというものが導入されたのです。
医療観察法に対して批判的な一部の医療関係者や弁護士からは「自分の起こした事件に関して事細かに聞かれるのは非常につらく、よくないのではないか」といった意見もあげられています。
しかし、一方では、被害者やその遺族の方からすると「事件を起こした本人が事件を思い出すのがつらいから思い出させるな」という理屈は到底受け容れられるものではありません。同じ過ちを犯さないというためには、内省プログラムで自分のしたことをよく認識する必要がある、というのが医療観察法の考え方です。



