医療観察法制定のきっかけになった「池田小学校の事件」
──医療観察法病棟にはかつて事件を起こした人々がいるわけですが、中には、まだ危険な兆候が見られる人もいれば、穏やかな方もいるのではないかと思います。危険度に応じて、ある程度、段階的に部屋割りをしているのでしょうか。
里中:私が取材したさいがた医療センターでは、中央のアトリウムと呼ばれるホールから四方に病棟が伸びていて、十字型になっているそれぞれが、急性期病棟、回復期病棟、社会復帰病棟、共同ユニットになっていました。
また、通常の精神科病院には、人を傷つけたり、自分を傷つけたりする恐れのある人を収容する「保護室」と呼ばれる鍵のかかる個室があります。医療観察法病棟にも同様の保護室がありますが、いつも使っているわけではなさそうでした。
施設内で私が少し話をした人たちは、まったく危険がありそうな雰囲気ではありませんでした。「こういう人たちが事件を起こすのか」と不思議に感じてしまうような、普通の印象の方々でした。
──医療観察法は2001年に起きた「池田小学校の事件」がきっかけで作られた、と書かれています。医療観察法が作られた経緯について教えてください。
里中:「池田小学校の事件」とは、大阪教育大学附属池田小学校に、男が侵入して児童8人殺害したという事件です。とてもショッキングな事件でした。事件を起こした男は、それ以前にも婦女暴行などの逮捕歴があった。
職場の同僚に精神安定剤入りのお茶を飲ませたりして、精神科病院に措置入院されたこともありましたが、責任能力なしということで、その件では刑事処分は受けていませんでした。このことが問題になり、大きな議論が巻き起こったのです。
医療観察法ができる前は、そのように重大な事件を起こした人がどういう対応を受けていたかというと、他の事件を起こしていない精神疾患の患者と同様に、通常の精神科病院に収容されて治療を受けていました。
ただ、「精神疾患を持ち、重大な事件を起こすような人のための施設を作るべきではないか」という意見は、実は「池田小学校の事件」の前からあり、繰り返し議論されていたことでした。
そのような人たちを特別に収容するということは、再犯の恐れがあるからずっと閉じ込めておく「保安処分」につながるのではないか。劣悪な環境の精神科病院も昔は多かったので、人権侵害になるのではないか。こういった意見が日弁連などからも提起され、議論はたち切れ状態になっていました。
その後、「池田小学校の事件」を機に当時の小泉政権が動いて医療観察法を制定しましたが、この法律が作られるきっかけになった「池田小学校の事件」の加害者は「責任能力あり」と最終的に判断されて、死刑判決となり、死刑が執行されました。つまり、彼は医療観察法の対象とはならなかったのです。
校庭に避難する池田小学校の児童たち(写真:共同通信社)
いったい何がどの程度だったら対象となったり、ならなかったりするのか、ここが常に裁判の争点になるところです。相模原の事件や、京アニ事件にしても、報道を見ると加害者は妄想の傾向を持っているように見えます。
京アニ事件はまだ判決が出ていませんが、「池田小学校の事件」や「相模原の事件(2016年7月に起きた相模原障害者殺傷事件)」では「責任能力あり」と判断されました。
これは精神鑑定にあたった精神科のプロがそう判断したのかもしれませんし、あまりにも重大な事件なので「さすがにこれを無罪としてしまったら国民が納得しない」という判断が裁判官にあったのかもしれません。本当のところは分かりません。