福島第1原子力発電所の処理水放出に対する韓国ソウルでのデモ(写真:Lee Jae Won/アフロ)
  • 日韓関係が、尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領の誕生以降、徐々に改善してきている。
  • だが、福島第1原子力発電所の処理水海洋放出など、何かあるごとにくすぶり続けている反日感情、そして嫌韓感情が両国で噴出する。
  • 日韓関係は今後、どう改善したらいいのか。豊臣秀吉の朝鮮出兵後、関係改善のきっかけとなった2人の知識人、藤原惺窩(せいか)と姜沆(カンハン)の交流がヒントになる。

(平井 敏晴:韓国・漢陽女子大学助教授)

 NHKの大河ドラマ『どうする家康』は、関ケ原の戦いの前年にまで話が進み、佳境を迎えつつある。10月22日の放送では、1598年に豊臣秀吉が没した直後、戦乱の世に戻りつつあったのを徳川家康が取りまとめていく様子が描かれた。

 それまでの数回の放送で印象的だったのは、秀吉の傍若無人さだ。この大河の秀吉は、当初から人並外れた強引さが強調され、それが天下統一への力となっているように描かれた。そして天下統一を果たすとなおいっそう拍車がかかり、明を屈服せしめようと朝鮮出兵(文禄・慶長の役:1592~93年、1597~98年)に踏み切った。

 だがうまく行かず、そのまま秀吉は病で没した。たしか寧々のセリフにもあったと記憶しているが、秀吉は好き勝手にやった挙句、混乱した政を「ほったらかした」という位置づけだ。

 そのために、今年の大河では、家康が天下人となる上で、朝鮮出兵が一つの転換点となっている。朝鮮から命からがら戻ってきた名だたる武将たちを石田三成はまとめられず、家康が彼らをなだめて信頼を得ていく。そして1599年、石田三成襲撃事件の責任を取るため、三成には蟄居が命じられ、家康は政を仕切る立場になった。

 この大河で何度も口にされる「戦のない世」を家康が実現するためには、朝鮮出兵の戦後処理も重要だった。その一つとしてよく語られるのが、朝鮮通信使による対朝鮮外交の回復である。

 朝鮮通信使は実質的に江戸時代のものを指すことが多いが、古くは室町時代の1412年、4代将軍足利義持の治世に始められた。両国の友好関係を維持発展させるもので、1479年まで6回行われると、一時途絶える。そのあとは、天下人となった秀吉の時代である1590年と1596年の2回だったが、そのときは朝鮮への侵攻につながるきな臭い話が議論された。

 江戸幕府はこうした最悪の両国関係を改善させた。極めて盤石な両国関係とまでは言えないものの、維持発展させるための努力を惜しまなかった。

 その発端となったのが、藤原惺窩(せいか)と姜沆(カンハン)という、2人の知識人の出会いである。しかもこの出会いは、どん底の日韓関係をとりあえず抜け出した私たち現代人に、なんらかの示唆を与えてくれる。