NHKの大河ドラマ『どうする家康』は、関ケ原の戦いの前年にまで話が進み、佳境を迎えつつある。10月22日の放送では、1598年に豊臣秀吉が没した直後、戦乱の世に戻りつつあったのを徳川家康が取りまとめていく様子が描かれた。 それまでの数回の放送で印象的だったのは、秀吉の傍若無人さだ。この大河の秀吉は、当初から人並外れた強引さが強調され、それが天下統一への力となっているように描かれた。そして天下統一を果たすとなおいっそう拍車がかかり、明を屈服せしめようと朝鮮出兵(文禄・慶長の役:1592~93年、1597~98年)に踏み切った。 だがうまく行かず、そのまま秀吉は病で没した。たしか寧々のセリフにもあ
秀吉がブチ壊した日朝関係、捕虜と儒学者の交流が反日嫌韓を打破するヒントに
「どうする家康」でも描かれた朝鮮出兵、その後の関係改善の土台とは?
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