渡部絵美との電話

 週刊新潮の記事を読んだ筆者は、すぐにパソコン脇に置いてあった携帯電話を手にした。

「おはよう。今、大丈夫?」

「おはよう。どうしたの? こんな朝早くから」

 電話の相手は元フィギュアスケーターの渡部絵美だ。彼女はいつも衛星放送でアメリカのテレビ番組を見ているので起きるのが遅いことは知っていたが、どうしても彼女に相談したくて電話をしたのだ。絵美の全日本優勝9回連続の記録は今でも破られていない。まさにフィギュア界のレジェンドだ。

 現役時代、スケートの練習はアメリカの大学でしており、アメリカ暮らしが長かったせいなのか飾ることのないサバサバとした性格ながらも、非常に心優しく、他人のことを思いやる人だ。私とは長年にわたる友人関係にある。

 絵美の住まいは東京都大田区だが、そこは目黒区にある仲本の居酒屋からも遠くなかったし、仲本が飼っていた犬の子供を引き取って飼っていたほどの関係で、仲本夫妻と親しく付き合っていることを筆者は知っていたのである。

 というより、筆者が仲本の居酒屋に何度か通ったというのも、絵美に紹介され一緒に行ったものだった。そこでは仲本が店内で焼き鳥の串を打っていたのも知っているし、愛想よく客とニコニコと談笑している姿も覚えている。その姿には、日本中の誰もが知る「ザ・ドリフターズの仲本工事」というオーラを感じさせない、「人の好いオジさん」そのものだった。

 そして筆者が知る仲本夫妻の姿と、週刊誌の記事に書かれた内容とはかなりギャップがあった。だから、一周忌を機に、この週刊誌報道の前後から交通事故で亡くなるまで、仲本の周りで何が起きていたのか、純歌や周囲の人々の証言をもとにまとめてみたい。

〈今も残る不可解な「虐待」「ゴミ屋敷」報道の謎(2)〉に続く