──ちょっと聞きにくいんですが、新国立競技場のザハ案の実施設計をやっている段階で応募を決めたということですか。白紙撤回になったのは2015年7月17日でした。

村尾:はい、その前に決めました。現地の設計事務所と組むというのが条件で、我々はバルセロナのパスカル・アウジオ・アルキテクテスと組みました。日建設計にスペイン人の社員がいて、「パスカル事務所が日建設計と組んでコンペに出たいと言っている」と聞きました。私は当時、新国立競技場ザハ案の実施設計をやっていました。さっきも言いましたが、とりあえずファーストフェーズには出してみるか、くらいのつもりでした。

──新国立のリベンジというわけでなかったのですね。

村尾:7月6日にファーストフェーズの応募資料を提出したのですが、9月8日に「ファイナリストに選ばれた」という話があって、そのときは社内がちょっと騒然としました。

最初は期待されていなかった?

──9月8日というと、日本では……。

村尾:新国立競技場のやり直しプロポにザハ事務所と再度組んで参加しようという話をしていた頃ですね。もし両方とも通ったらどうするんだ、みたいな話になりましたが(※日建設計は最終的にやり直しプロポへの参加を断念)、両方とも取り組めばいいだろう、ただSpotifyカンプ・ノウの方は勝てるわけがないなと(笑)。何しろ、選ばれていたのがこの8者でしたから。

【セカンドフェーズに進んだ8者】
NIKKEN SEKKEI + Joan Pascual i Ramon Ausió Arquitectes
AECOM + b720 Arquitectes
AFL + Mateo Arquitectura
Arup Sport + Taller d’Arquitectura Ricardo Bofill
BIG + IDOM + BAAS Arquitectes
GENSLER Sport + OAB
HKS + COX + Batlle i Roig Arquitectes
POPULOUS + Mias Arquitectes + RCR Arquitectes

──リカルド・ボフィルやBIGが残ってますね。

村尾:日建設計を一番上に書きましたけれど、実際には一番下からのスタートだったと思います。でもそれが良かった。日建設計が国内でコンペに出るときには変な質問はできないし、奇をてらった案も出せない。要項に遵守した案の提出が求められる。でもこのコンペはおそらく一番最後で選ばれたのだから、自分たちに何ができるかを考えた。

──第2段階は提案一発勝負なんですか。

村尾:ワークショップ形式でやるって言われたのです。「これはチャンピオンズ・リーグだ」って。打ち合わせをして、段階的に案を詰めていくなかで、4者に絞り、2者に絞り、1者に、というふうに決めていくと。

──どうやって最後尾からはい上がっていったのですか。