小田原城を本拠に関東一円を支配していた北条氏

 NHK大河ドラマ『どうする家康』で、新しい歴史解釈を取り入れながらの演出が話題になっている。第37回「さらば三河家臣団」では、北条攻めを決定した豊臣秀吉が、平和的解決を主張する徳川家康に先陣を命じた。「勝てば北条領をすべて与える」と言われた家康だったが、それは秀吉の策略に満ちた「国替え」だった。今回の見所について『なにかと人間くさい徳川将軍』の著者で、偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)

秀吉の子を懐妊した茶々に向けられた「不穏な噂」

「向かうところ敵なし」とは、このことだろう。天下統一に向けて、豊臣秀吉がついに北条攻めを決意する。側室の茶々(淀殿)との間に子どもを授かったことが、秀吉をさらに勢いづけたようだ。

 今回の『どうする家康』は、ムロツヨシ演じる秀吉が「茶々、ようやった!」と言いながら、北川景子演じる茶々のもとに駆け寄るシーンから始まった。秀吉が抱き上げた赤子の名は「鶴松」。秀吉にとって初めての子どもである。

 当初は「捨(すて)」と名づけられたらしい。当時、「捨てられた子どもはよく育つ」と人々の間では信じられており、長寿を祈ってこの名をつけたようだ。のちに「鶴丸」と改められることになる。よほどうれしかったのだろう。秀吉は産まれてすぐの鶴丸を後継者に指名している。

 だが、ドラマで描かれることはなかったが、茶々が身ごもった頃から、人々の間では不穏な噂が流れることになる。それは「秀吉の子どもではないのではないか?」という噂である。

「刀狩り」に反発する庶民からイジられる

 鶴丸は、秀吉が53歳、淀殿が21歳のときの子どもである。これまで秀吉には子どもができなかった。それにもかかわらず、淀殿がいきなり妊娠したことから、人々の間では、こんな歌がふざけて詠まれたという。

「大仏の くどくもあれや 鑓(やり)かたな くぎかすがいは こだからめぐむ」

 この歌を理解するには、少し説明が必要だ。当時、秀吉は農民から槍や刀を取り上げて、諸大名に集めさせていた。教科書などでも出てくる「刀狩り」政策である。「大仏を作るから」という口実だったが、秀吉は農民から武器をとりあげることで、武士が農民を支配する社会を作ろうとしていた。

 秀吉も農民出身なのに……と思うかもしれないが、それは逆である。自分が農民から出世したからこそ、秀吉は「自分と同じように成り上がる農民が出てこないように」と警戒し、武器を奪ったのである。

 この歌では、そんな秀吉の刀狩りを踏まえて、こう皮肉を言っているのだ。

「淀殿が妊娠したのは、大仏を作る……なんて理由で刀狩りを行った、そのご利益でしょうね」

 これは、秀吉の刀狩りを批判しつつ、さらに「秀吉の力で子どもができたんじゃないでしょ?」と、暗に「淀殿と秀吉の子どもではないからね」とバカにした歌ということだ。ひどい言われようだが、さらにこんな歌も流行ったという。

「ささたへて 茶々生いしげる 内野原 今日はけいせい 香をきそいける」

 この歌には、秀吉にまつわる3つの出来事が並べられている。まず「ささたへて」の「ささ」は佐々成政のこと。「たへて」は「絶えて」なので、死んでしまったということだ。これは、佐々が肥後一国を与えられながらも、両国内での一揆を鎮圧できず、秀吉に切腹を命じられた出来事を暗示している。

 そして「茶々生いしげる 内野原」は茶々、つまり、淀殿が聚楽第のある内野で子どもを妊娠し、勢力が増していることを表す。

 最後の「今日はけいせい 香をきそいける」は、秀吉が「遊女は国を乱す」として、武家が悪所に出入りすることを禁じたことを揶揄している。

 秀吉にかかわる3つの印象的な出来事を列挙することで、からかっているというわけだ。このような風刺やあざけりの意味でつくられた歌を「落首」(らくしゅ)と呼ぶ。秀吉は落首の格好のターゲットとなった。