かれのこの説明は何回か聴いた。いつも早口でしゃべるあまり風采の上がらぬおじさん(失礼!)のようで、こんな正直な人が政府のなかにいるのかと不思議に思え、最初は、そういうものか、と半信半疑だった。
高橋氏がどういう人かはわからなかった。だがかれは自信満々だった。こんなことをはっきりいう人が政府内にいるのかと思った(かれは日本ではじめて国のバランスシートを作った)。
高橋氏もかつて大蔵省にいた。森永卓郎氏は東大経済学部卒だが、高橋氏はおなじ東大出身でも異色だった。理学部数学科卒である。
高橋氏の学生時代の将来の夢は数学者になることだった。理系の人間はふつう公務員試験をうけない。むしろ「理系にとっては公務員など眼中にない存在」だった。
「神童」なのか「変人」なのか
しかしたまたま試験を受けて合格した。「2年に1人は君のような人材がいてもいいんだ」と珍しがられ、「いわば変人枠」で大蔵省に勧誘されたという。上司たちは氏を最初は甘く見ていたのだろうが、高橋氏はただの「変人」ではなかったのだ。
わたしもあの早口おじさんが、まさか数学の神童だったとは知らなかった。中学のときは「主要教科の教科書は一日目で読み終わった」。暗記科目は「フォトメモリー」のように「読んだらほとんどが記憶に残った」。
なにより「数学はものすごくできて、中学生のときに東大等の大学入試の数学の問題は簡単に解けた。東大の数学問題なら百点はとれた」というのだ。中学生ですよ。「神童」ではないか。旺文社の全国模試は「常に数学は全国一位だった」。
この数学の才能が、財務省のなかで出る杭としても叩かれず、出過ぎた杭として引き抜かれもせず、だれからも一目も二目も置かれた秘密である。
ちなみにかれは「東大」などなんの評価もしない。「『東大がいい』という、くだらない価値観にごまかされないほうがいい」「東大に行こうが、三流大学といわれる大学に行こうが、ちょっとした差でしかない」と断言し、それどころか「大学に行く必要があるのかとすら思う」とまでいっている。
最高官庁といわれる財務省の官僚は日本最高のエリートだと思っているが、「それは完全に、東大法学部をはじめとする日本の文系社会におけるヒエラルキーの延長線上にあるイメージにすぎません」。だから「国際的に通用する人材、どこへ行っても他流試合ができる人は、財務官僚のなかの4分の1程度」しかいない。「東大など世界から見れば、お話にもなりません」
東大などはなから相手にしていない人だからいえる言葉ではあろうが、高橋氏はほんとうにそう思っている。