(勢古 浩爾:評論家、エッセイスト)
※本稿は『無敵の老後』(勢古浩爾著、大和書房)より一部抜粋し、大幅に加筆したものです。
わたしは基本的にはおだやかな年寄りである。だが日々暮らしていれば、公憤私憤問わず、腹が立つことがないわけではない。
公憤の最大のものはやはり、ウクライナ侵略で核使用をちらつかせて威嚇する戦争犯罪人プーチンや、報復だとばかりに台湾周辺で軍事演習をしたり、日本の会社員をスパイ容疑で捕まえたりして、やることがいちいちけちくさい中国や、国民の生活はほったらかしで、ミサイルばかり飛ばすことに血道をあげている金正恩などに対するものである。
不快なニュースはもう見ないと思っているのに、どうしてもこれらのニュースが入ってくるのだ。自国民を空爆したりしているミャンマーなど狂気の沙汰である。
日本の政治の幼稚さに愛想がつきる
しかしそんな腹立ちを別にすれば、日本の政治がひどい。つまり与野党問わず国会議員がひどい。官僚も同罪だ。やっていることはまるで中学校の生徒会みたいである。腹が立つというより、あまりの幼稚さに愛想がつきる。
北朝鮮のミサイルが北海道に落下するかも、との13日のJアラート騒ぎは、このシステムがまったくの役立たずであることを完全に証明してしまった。役立たずどころか、逆に国民を不安にしてばかりではないか。電車は止まるし、テレビ局は右往左往するし、あんなものないほうがよほど平和だったのである。
多額の金と労力をかけて、有用どころか有害なものを作っているのだ。予測が当たるにしても、無意味であることに変わりはない。ばかなことに、ホテルのカーテンを閉め、部屋の電気を消し、ベッドにもぐりこんだ中年会社員までいたのだ。国がバカなもんだから、釣られて国民までバカになってしまった。
来月に行われるG7サミットの議長国のメンツにかけて、岸田総理(生徒会会長みたいだ)がウクライナに「極秘」で行ったのはいいが(しかし情報はだだ洩れ)、贈り物に「必勝しゃもじ」を持っていって、国内でわらい者になってしまった。
安倍元総理の「アベノマスク」はまぬけな秘書官の発案だったが、今回の「しゃもじ」もそうなのか。どこにもいつでもアホはいるから、まぬけな案を出すものはいる。それを、顔を洗って出直してこい、と叱咤する者がいず、「そりゃいいな」と決まってしまうことが、いまの政治の安っぽさを表しているのだ。