(勢古 浩爾:評論家、エッセイスト)
老人バカというと、老人全般がバカという意味にとらえられようが、バカ老人といえば一部の老人のことである。
しかしまあ、いまや老人全般がバカ、といいたいような気もする。というのも賢く落ち着いた老人は、テレビやネットでも、新聞や雑誌でも、はたまた身近な暮らしのなかでも、ほとんど見ることがないからである(養老孟司氏など、ごく少数だがいることはいる)。
一口にバカといっても種類や程度は無数、存在は無限である。
身近にいる暮らしのなかのバカは、なるほど影響力は小さいかもしれないが、迷惑を被る人間にとってはたまったもんじゃないのである。下手をすると穏やかな生活が脅かされて、暮らしに支障がでる。
だが、バカが国のトップに立ったりすると、被害は甚大である。自国民だけにととまらず、ときには他国民を巻き込んでしまう。しかもこのバカに「老い」が加わると、目も当てられない事態になる。
バカの四条件に照らして世界を見れば
「老い」は、腐ったゴムのように可塑性がないから、バカ老人のやることすべてに寸毫の反省もない。もともと頭が固まって反省がないからバカ、なわけなのだが、「老い」はそれをさらに不可逆的に強化するのだ。
バカの特徴の一つは、世間にはとっくにばれているのに、自分がバカだと思っていないことである。だから無茶苦茶をやってもまったく平気なのだ。
特徴の二は、平気でうそをつくことである。生まれてからほんとうのことをいったことがないのじゃないかと思うほど、ウソが板についているのだ。
特徴の三は、若いときからバカだということで、老人になってから急にバカになったということはない。
特徴の四は、俗情のかたまりだ、ということである。
そこでこの四条件に照らして現在の世界を見渡してみれば(とはいえもう最初から決めていたのだが)、世界の3大バカ老人が浮上する。ロシアのプーチン大統領(69)、中国の習近平国家主席(70)、それにミャンマーのミン・アウン・フライン軍総司令官(67)である。