「私は経済人として久山を全国区にします」
1964年から1992年まで7期にわたって町を率いた小早川氏は、河邉社主の結婚式の仲人も務めている。このときに、若き日の河邉社主は小早川氏にこう誓った。
「町長は行政マンとして久山を全国区にしてくださいました。私は経済人として久山を全国区にします」と。
久山の存在を全国区にするという誓いについては道半ばかもしれないが、少なくとも久原本家と茅乃舎は全国区になり、久原本家の総本店や御料理茅乃舎は町外や県外の人が訪れる人気店になった。御料理茅乃舎を建てた時には、小早川町長の墓前に報告に行ったという。

もちろん、土地活用が制限される状況に、住民の不満もあっただろう。だが、現在の西村勝町長を含め、その後の町長は基本的に小早川氏が敷いた路線を継承した。
町長選で「土地利用の自由化」を訴える候補も過去にはいたが、今なお開発抑制路線が続いているということは、住民がその政策を支持したということ。さまざまな不満はあれど、久山の自然環境を残すという点については住民の総意だったのだろう。
そんな独自の町政を貫いた久山町で今、何が起き始めているのか。それは、人口の増加と高齢化率の減少である。