部屋から解き放たれたメアリーは何を見る?

「メアリーの部屋」という寓話は、さらに人権侵害的な設定に基づく「思考実験」になっています。
可哀想なメアリーは、特段、視力や色覚に異常はないのですが、なぜか生まれてこのかた白黒の部屋にずっと幽閉されている。
しかし「色彩」に関する様々な学術情報だけはすべて知っているという、極端な人物像として設定されている。
このような「メアリー」が、ある日解放されて、光あふれる自然な色彩の世界を目にしたとき、彼女が「新たに学習するものはあるか?」
「赤」という言葉を知るのと、実際に「赤い色」を目にして、そこで色彩を感じることとは全く違います。
後者のような経験を「感覚質」(Qualia=クオリア)と呼び、変に日本語でも普及し、家電製品の名前になっていた時期もある。
そうした質が「学術情報」の中にあるかと問われれば、そんなものがあるわけがない。
こうした論点は1982年、いまから41年前に議論されたものですが、2023年時点で画像生成AIを考えるなら、生成AIの中には「色を感じる主体」など何一つない、ということに注意する必要があるでしょう。
先ほどの「中国語の部屋」では「文章の内容に責任を持つ主体」の欠如を指摘しました。
「メアリーの部屋」の思考実験を生成AIに当てはめるのであれば「クオリア」質感を受け止める能力がAIシステムには欠けている点を指摘するべきでしょう。
色彩というのは、あくまでヒトならヒトという生物が、その色覚で感受して、初めて「生成」される、極めてバイオロジカルな性質であって、データそのものは数の羅列に過ぎず、彩度もなければ明度もない。
1と0だけから成立する冥土みたいなもので、認知観測する主体があって初めて、そこで「感覚質」が生成される。
要するに現在の商用画像生成AIというのは「込み入った画像データベースに画面合成機能が付加されたもの」、つまり自動機能が増えた「アドビ製品」というのが過不足ないところなのです。