仕事の「絶対量」は天然資源のように限られていない

 もう1つの要因は、AIは雇用を奪ったりはせず、誰を雇用して何の仕事を任せるかを決めるのは人間自身であることです。『雇用の未来』が指摘した内容についてメディアなどが伝える際、“AIが雇用を奪う”と表現されることが多々ありました。しかし、この表現は不正確です。いまのところAIに意思はなく、人間から勝手に仕事を奪ったりはできません。

 仕事とは、基本的に人間自身が人間のために行ってきたものです。そのため、仕事を誰に任せるかの決定権は人間にあります。仮にAIの実務能力が人間を超えたとしても、すぐに仕事を任せられるわけではなく、その前に人間から見て「安心して仕事を任せられるか」という“信頼度確認”のステップが存在します。

 人間同士の場合であっても、入社してきた新人が高い能力を持っているからといって、いきなりできそうな業務をすべて任せたりはしません。どんなシチュエーションでも安定して求める成果が出せるかを見極め、信頼できると判断してから仕事を任せていきます。それは相手がAIであっても同じことです。

 AIや機械が人間の仕事の半分を代替できるようになるには、人間並みのマルチタスク対応力や実績の積み重ねによる信頼獲得が必要になります。それには相応の時間がかかることでしょう。

 ただ、AIに仕事の半分を代替される心配は未来永劫ない、ということではありません。現時点ではまだレアな事例とはいえ、アメリカ・サンフランシスコではすでに完全自動運転のタクシーが営業を開始し、タクシー運転手が行ってきたタスクがごそっと置き換わってしまいました。

 着実に代替できる仕事の範囲を広げてきているAIの台頭は、もはや一過性のブームなどではなく、未来を考えるうえで外せない社会的環境要因の一つになりつつあると言えます。

 そう考えると、『雇用の未来』が指摘した内容をAI版ノストラダムスの大予言だなどと一笑に付すことはできません。テクノロジーのさらなる進化によっては、半分どころか、やがていま人間が担っている仕事の大半がAIに代替される可能性だってあり得ます。

 そうなると人間のほとんどが失業してしまう未来像が見えてきますが、それは仕事の絶対量が変わらない場合です。しかし、仕事の絶対量は天然資源の埋蔵量のように固定されてはいません。人間のニーズと連動して、生き物のように変化します。