8月15日は78回目の敗戦の日で靖國神社に出掛けた。
テレビでは大東亜戦争についていろいろ取り上げていたが、誰もが戦争は嫌だとして平和の重要性を語っていた。
しかし、ほとんどが「話し合いで解決を」で、総じて「なぜ戦争が起きるか」「戦争を抑止するにはどうすればいいか」「戦争に巻き込まれたらどうするか」などの議論には至らなかった。
多くの日本人は幸運にも戦争の経験がなく、戦争は観念的なものでしかない。憲法で戦争を禁止していれば戦争が起きないとさえ思っている人もいるし、戦争が起きたら逃げるという人も多い。
パスポートがなければ脱出できないことも、受け入れ国がないかもしれないということも眼中にない。
こうした議論を繰り返し聞くたびに、日本では何かが足りないように思えてならなかった。そして、ようやく気付いた。
戦争体験を語り継ぐことも大切であるが、戦争を起こさないために必死に努力していることを告げることがもっと必要だということだ。
そして、それをすべきは自衛隊を経験し定年で自衛官ではなくなった者たちではないかと。
中でも高級幹部であった防衛大学校(以下防大)の卒業生たちには生涯にわたって課された役目ではないかとさえ思うようになった。
決して防大を尊大視して言うのではない。
むしろ国家の保護の上で教育訓練を受けて卒業し、多くが自衛隊の高級幹部となったわけであるが、その責務は物理的に定められた定年で終わってしまうのか、再考を要するのではないかという叱責の論考である。
こうした思いを強く抱くようになったのは、36年間の現役自衛官生活を終えてボランティア的に陸上自衛隊のOB組織である隊友会で活動した経験からである。
また国防の重要性を国民に説き、自衛隊を応援する目的で松下幸之助氏ら市民有志が立ち上げ全国防衛協会連合会で機関紙発行を担当したことも影響している。
高級幹部であった一部の者は自衛隊関係の外郭団体に関わるが、そうでない大部分は「自衛隊? 定年で卒業したよ、関係ないね」という態度ありありだ。
高級幹部であった者たちの姿勢がこうであるから、並の幹部や多くの一般隊員たちは生活の手段として自衛隊にいただけで、愛国心や愛自衛隊精神などは論ずるまでもないことのようである。