「流行性感冒肺炎」「肺炎」…住職が残した檀家の死因

 1918(大正7)年〜1920(大正9)年に限っては、多くの寺院で2〜3割程度、葬式数が増加していたのだ。

 最も檀家数の多いA寺(神奈川県横浜市)の葬式数を見てみる。

1917(大正6)年 122件(流行前)
1918(大正7)年 157件(第1波)
1919(大正8)年 141件(第1波終息)
1920(大正9)年 166件(第2波)
1921(大正10)年  140件(第2波終息)

 A寺では年間の平均的葬儀数は130件前後と思われる。特に第2波の1920年の葬式数の増加は顕著であった。

 次に、東京都北区のB寺。この寺は檀家数がさほど多くないので、葬式数の増減からスペイン風邪の影響を読み取ることはいささか乱暴だが、それでも変化はあった。

1917(大正6)年 8件(流行前)
1918(大正7)年 13件(第1波)
1919(大正8)年 17件(第1波終息)
1920(大正9)年 17件(第2波)
1921(大正10)年  15件(第2波終息)

 B寺の場合、興味深いことに檀家の死因に関する記録が残っていた。「米国シアトルで死去」「感冒」「流行性感冒肺炎」「肺炎」などと、スペイン風邪との関連性をうかがわせる記述だ。

 当時の住職は、どのような心境で葬儀を執り行ったのだろう。

 新型コロナ感染症では、罹患して死亡した人の葬式は、厳戒態勢が取られていた。遺体は納体袋に入れられ、棺はガムテープで目張りがされた。徹底的に消毒をした上で、火葬場の営業時間外に、ひっそりと火葬された。遺族は、火葬が済んで骨壺に納められて初めて、故人と対面できる異常さであった。