◉名古屋城の木造天守再建問題を考える(前編)
◉名古屋城の木造天守再建問題を考える(後編)
コンクリ天守をどうするか?
前稿「名古屋城の木造天守再建問題を考える(後編)」で筆者は、資料に基づいた復元を行う場合でも、バリアフリー化には配慮すべきだ、という意見を述べた。これは、日本社会に暮らす一市民としての立場と、城の研究に携わってきた立場と、両方からの意見である。
一方で筆者は現在、一人の城好き・歴史好きという立場から執筆等の活動をしている。本稿では、そうした立場から名古屋城天守の再建事業を考えたとき、筆者がもっとも危惧する問題を指摘したい。
ズバリ結論から述べる。名古屋城天守がバリアフリー化に配慮しないまま木造再建されると、それが「先例」になってしまう怖れがある。どういうことか?
日本全国には数多くの天守が建っていて、観光資源として地域に貢献している。しかし、その中で江戸時代から建っている「本物」は、たったの12棟しかない。第2次大戦前までは、名古屋城・大垣城・和歌山城・岡山城・福山城・広島城にも本物の天守が残っていたが、空襲によって失われた(松前城天守も失火により焼失)。
戦後になって、これらの天守は写真や資料を基にして、鉄筋コンクリート造で外観復元された。またも西南戦争で焼失していた熊本城天守や、明治期に取り壊された天守でも、古写真に基づくコンクリート造での外観復元が進められた。
やがて「自分たちの街にもお城がほしい」という声が、あちこちで湧き起こってくる。こうして、資料がないため形が不明な天守や、もともと天守がなかった城にまで、「らしく」造形されたコンクリ天守が建つようになった。
「復興天守」「模擬天守」と呼ばれるものだが、学術的見地から考えるなら「捏造天守」といったほうがよい。1950〜60年代にかけて戦後の復興と経済成長という気運が、天守という形に具現化していったのである。
ということは、外観復元であれ復興・模擬であれ、たいがいのコンクリ天守は建設から50年以上を経ているわけだ。当然、建物は老朽化しているし耐震性にも問題がある。近い将来、明らかな耐用年限に達する天守も少なくない。
では、高度経済成長期の遺産ともいうべきコンクリ天守をどうするか? 理論的に考えられる解決策としては、次のようなものがある。