ディアス博士の水素化ルテチウム(NLH)
こうした夢を現実にするべく、100年間にわたって、より高い臨界温度の超伝導材料が探索されてきました。画期的な新材料が見つかるたびに、臨界温度の記録はじりじり上がってきました。
2015年には、水素の化合物に超高圧をかける手法が開発されました。硫化水素に150万気圧をかけたところ、200 Kつまり-70℃で超伝導を示したというのです。そこから世界で一斉に、水素化合物の超伝導材料を探す競争がスタートしました。臨界温度はどんどん上昇し、見る間に室温に近づきました。
そして2023年3月8日、ロチェスター大学のランガ・ディアス博士の研究グループは、窒素含有水素化ルテチウム(NLH)という新しい超伝導材料を発見したと発表しました(※1)。この物質は、1万気圧という圧力のもとで、なんと294 K(21℃)で超伝導状態を示したといいます。
これはついに室温超伝導の夢が実現したのでしょうか。
ディアス博士の特に秘められてはいない過去
しかし、ディアス博士の(ハイテンションな)発表は、冷ややかというと言い過ぎですが、拍手喝采とは言えない微妙な反応で迎えられました。
実はディアス博士のグループは、2020年にも、別の物質を用いて室温超伝導を達成したという発表をしたのですが、データに不審な点が見つかって、論文が撤回されたという「過去」というか、つい最近の出来事があったのです(※2)。
2020年の発表では、炭素質水素化硫黄(CSH)が287.7 K(15℃)という臨界温度を示したということでした。しかしその論文を読んだ研究者は、その電気抵抗の変化が理屈に合わない不自然なカーブを示していることにすぐ気が付きました(※3)。
その不自然な実験データを提供したのは、ディアス博士の共同研究者のマシュー・デベッサイ博士(発表当時インテル社)でした。
このあとの経緯は少々こみいっています(※4)。その後の調査によって、デベッサイ博士が2009年に発表した第3の論文については、明らかな捏造の痕跡が見つかりました(※5)。ユーロピウムを超伝導状態にすることに成功したというこの報告は撤回されました。
しかし、デベッサイ博士の2020年のCSH論文については、ディアス博士を含む共著者たちは、元の実験データは真正だと主張し、撤回に同意しませんでした。そのためネイチャー編集部は、編集部の判断で論文を撤回するという、いささか異例の処置を取りました(※6)。
こうした事情を知っている人は、ディアス博士による再度の室温超伝導ネイチャー論文に、不信の念を抱くとともに、ネイチャー編集部の真意を図りかねて首を90°近くかしげたのです。