理想と現実のギャップに悩んでいたのか

 報道によると、青木容疑者は地元の小中学校に通い、高校は県内の進学校を卒業。東京の大学に進み、そこで食事付きの個室の寮で生活をはじめた。ところが、他大学の学生もいる環境に馴染めなかったようだ。やがて東京・目黒のアパートで1人暮らしをはじめるも、大学を中退。その時に母親にこう漏らしていたという。

「大学でみんなに『ぼっち』とばかにされている」

“ぼっち”とは「独りぼっち」のこと。当初は「大学時代にいじめにあった」と書く報道もあったが、そもそも、周囲から「ぼっち」と呼ばれて認識していたのなら、それは独りぼっちではないはずだ。どうやら環境に馴染めず孤立していくことを独りで悩んでいた様子がうかがえる。

 もっとも、誰もがあらゆる環境の変化や人間関係に合わせられるようなものでもない。どうしても環境に馴染めずに、ついていけない人間は出てくる。それは仕方のないことだとしても、青木容疑者にとって問題となるのは、ここに理想としていたはずの自己像とのギャップが生じたことだ。

 少なくとも、大学で「ぼっち」である姿は、理想ではなかった。大学の仲間や友人と仲良く楽しくキャンパスライフを送るはずだった。それが理想と大きくかけ離れる。「こんなはずではなかった」とストレスを溜め込み、そして孤立していく。

 孤立すると、外部とのコミュニケーションも取れないから、より思考が内向的になって、悪いことを考えるようになる。あるいは、独善的な考え方に陥りやすくなる。