病院の受診を勧めた息子になぜ猟銃を…
それから両親の勧めで農業をはじめ、中野市内でジェラート店を開業する。
その店でのことだ。仕事を手伝っていた人に「ぼっちぼっちと俺のことをばかにしていた」と怒りをあらわにしたことがあった。相手は「そんなこと思っているわけもないし、言ったこともない」と説明した。それが昨年の夏のことだった。
目黒のアパートで異変を知った両親は、青木容疑者を手厚く保護した。過保護と言われようと、そうせざるを得ないところまで追い込まれていたのだろう。だが、それが結果的に両親と当人だけの狭い世界を構築していく。「ぼっち」であってはならないはずの自分の理想像との乖離。「ぼっち」は、他人からばかにされる存在であるとの思い込み。欲求不満を溜め込むばかりの生活。抑うつ的傾向が、激しい怒りへと転化する瞬間。
青木容疑者の「死刑回避」の可能性の根拠について前回は、2015年3月に兵庫県淡路島で「ひきこもり」の男が近隣住人5人を殺害した事件と、同年9月に埼玉県熊谷市でペルー人の男が小学生2人を含む6人を殺害した事件を例示した。いずれも一審の裁判員裁判では死刑判決が言い渡されたものの、二審の高等裁判所は犯行時の「心神耗弱」を認めて死刑を破棄し、無期懲役とした。
淡路島の事件では、男が医療機関への通院歴もあり、「電磁波兵器で攻撃されていた。犯行は、その反撃だった」などと主張していた。ペルー人の男は事件前に「ヤクザに追われている」と語るなど、誰かに追われているという妄想があったとされる。刑法39条には「心神喪失者の行為は罰しない。心神耗弱者の行為は刑を減軽する」とある。
最近の報道によれば、青木容疑者は当初「射殺されると思ったので警察官も殺した」と容疑を認めていたが、それが「自分で発砲したか分からない」「銃が暴発したかもしれない」という趣旨の曖昧な供述に変わってきているとされる。
精神鑑定が待たれるところではあるが、「死刑回避」の可能性を裏付けるものばかりだ。
そうすると、もうひとつ新たな問題が浮かぶ。精神疾患の罹患も疑われる人物に、猟銃の所持を許可したことだ。許可を得るには、精神面での医師の診断書が必要になる。だが、それも自己申告による診断で、精神科医でも見抜けないことがあるという。
谷公一国家公安委員長は、今回の事件を受けて「銃の所持許可の手続きに問題があったとの報告は受けていない」としているが、問題となるのは手続きそのものが機能していなかったことだ。そして、そんな息子の状態を知りながら、銃を買い与えていた両親の判断にも、疑問の余地があることだ。