当時脱原子力に賛成したのは、リベラル勢力または左派に属する市民だけではなかった。ある大手ドイツ企業の保守的な思想を持った管理職社員も、私に対して「福島事故に関する報道を聞いて、ドイツが原発を廃止するのは正しいと思った」と語っている。

 多くのドイツ人たちは、日本について、「何事もきちんと行う、ハイテクノロジー大国」という先入観を持っていた。その日本ですら、原子炉事故を防げなかったという事実は、多くのドイツ人の心にこのエネルギーに対する不信感を植え付けたのだ。

ドイツ人が脱原子力に反対する2つの理由

 2011年には脱原子力に拍手喝采したドイツ国民だが、12年後の今になって、原発の必要性を感じる市民が増えている理由は、2つある。

 1つは去年2月24日にロシアがウクライナ侵攻を開始したために、ドイツの電力・ガス価格が高騰し、市民の間で「エネルギー料金を払えなくなるのではないか」という不安が強まったことだ。もう1つの理由は、欧州で地球温暖化の兆候が顕著に表われ始めているために、気候変動に対する市民の懸念が強まっていることだ。

 最初にエネルギー危機について説明しよう。実は私は、今年4月14日に公表された「回答者の過半数が脱原子力に反対」という報道を聞いても、驚かなかった。なぜなら、去年の夏、市民のエネルギー危機への不安が日に日に強まっていた時に行われた世論調査では、脱原子力に反対する市民の比率がすでに今よりもはるかに高かったからだ。

 去年8月4日にARDが公表したインフラテスト・ディマップの世論調査によると、「最後の3基の原子炉を2022年末以降も運転するべきだ」と答えた回答者の比率は82%で、「2022年末に廃止するべきだ」と答えた回答者の比率(15%)を大きく上回った。

 当時は、ロシアの国営企業ガスプロムが、同国から西欧へガスを輸送する海底パイプライン・ノルドストリーム1を通じたガス供給量を徐々に減らしており、ドイツの市民や企業経営者の間で「2023~2024年の冬にはガスが不足するのではないか」という不安が募っていた。当時フランスの原子炉のほぼ半分が、部品の材質などに関する問題のために止まっており、冬にドイツで電力が不足してもフランスはドイツに電力を融通できないという事情もあった。ロシアのウクライナ侵攻が始まって以来、オラフ・ショルツ政権は過渡的な緊急措置として、廃止する予定だった石炭火力発電所や褐炭火力発電所の再稼働を許可した。しかし2022年夏の降水量不足のためにライン川などの主要河川の水位が下がり、石炭運搬船が航行できないという事態も起きていた。

 ショルツ政権が当初予定されていた2022年末に3基の原子炉を廃止せずに、今年4月15日まで3カ月半運転期間を延長したのも、「エネルギー危機の最中に、なぜ運転できる電源を止めるのか」という市民や企業の不満の声が強まり、冬に電力不足が起きる可能性が生じたからである。脱原子力を1980年の結党時以来の悲願としてきた緑の党も、流石に回答者の82%が運転継続を望むという世論調査の結果を無視することはできなかった。緑の党は「新たな核燃料を装荷しない」という条件で、原子炉廃止を伸ばすことに同意した。

電力・ガス会社が「料金を2倍に引き上げる」と通告

 なぜドイツのエネルギー危機への不安感はこれほど強いのか。それは、この国に住む人々が去年夏から秋にかけて、「異次元の電力・ガス価格高騰」をエネルギー企業から通告されたからだ。当時のショックは、今も人々の骨身にしみている。

 たとえば私が住んでいるミュンヘンの電力・ガス供給企業シュタットヴェルケ・ミュンヘン(SWM)は、去年11月3日に、「電力卸売市場での調達価格が高騰したため、2023年1月1日から電力料金を約2倍に引き上げる」と企業・市民に通告した。

 この結果、毎年2500キロワット時(kWh)の電力を消費する家庭が、月々支払う電力料金は、これまでの62.71ユーロ(8779円・1ユーロ=140円換算)から122.7%増えて、139.64ユーロ(1万9550円)になった。年間電力料金は、752.53ユーロ(10万5354円)から1675.67ユーロ(23万4594円)に高騰することになった。

 これまで、電気代の値上がり幅は、1年間に2000~7000円程度だった。それが2023年には、一挙に約13万円も増えるというのだ。私は33年間ドイツに住んでいるが、これほど急激な電気代の値上げは経験したことがない。

 SWMが大幅な引き上げを通告したのは、電力料金だけではなかった。同社は2022年10月18日、「ガスの調達価格が高騰しているので、2023年1月1日からガス料金を約93%引き上げる」と発表した。この結果、毎年2万kWhのガスを消費する家庭では、月々支払うガス代が159.17ユーロ(2万2284円)から、307.41ユーロ(4万3037円)に増えることになった。

◎新潮社フォーサイトの関連記事
対ロシア「原子力ビジネス」制裁は発動できるか――長過ぎた依存のツケ
中南米「台湾断交」を選択した国、しなかった国
AUKUSの先にあるインド太平洋の有機的同盟協力――日本は米豪のギャップを埋める存在に