(長山 聡:大相撲ジャーナル編集長)
常設館がなかった江戸勧進相撲
新型コロナウイルスの感染法上の分類が2類相当から5類に下げられた5月の大相撲夏場所は、久しぶりに国技館での観客制限を設けずに開催され、連日満員の盛況が続いている。
現在、大相撲は東京3場所、大阪、名古屋、福岡でそれぞれ1場所ずつ行われ、年6場所制となっている。
1月、5月、9月に行われる東京場所は、国技の殿堂・国技館での興行だ。ちなみに地方場所も3月エディオンアリーナ大阪(大阪府立体育会館)、7月ドルフィンズアリーナ(愛知県体育館)、11月福岡国際センターと興行場所は決まっている。
だが、江戸勧進相撲の時代は相撲の常設館は存在せず、一定の場所での興行ではなかった。
勧進相撲とは、神社、仏閣の建立、修理などの資金集めを指し、チャリティー行為が本来の目的だった。
次第に寄付行為は建て前となり、実質は、職業相撲人の生活のための営利目的に変化していった。それでも寺社奉行に相撲興行を許可する権限があったため、江戸相撲の制度の整った宝暦7(1757)年から天保3(1832)年までの間は、江戸市内にある様々な神社や仏閣で小屋掛けでの興行が行われた。
その中でも蔵前八幡、深川八幡、両国・回向院が3大本拠地だったが、天保4(1833)年冬場所(10月)以降は、回向院のみが興行場所として定着。同敷地内に国技館が建設される直前の明治40(1907)年春場所(1月)まで、75年の長きにわたって大相撲の本場所が開催された。