「父の平沢は肺炎でとても危ない状態です。鼻に酸素チューブが差し込まれた状態で目を瞑っています。ただ僕が訪ねて行くと僅かにこちらに顔を向けて少し微笑むように顔の深い皺を動かします。体はすっかり骨と皮だけになって、頬も深く落ち込んでいます。あの状態で生きていること自体が不思議な気もします。なんとか生きているうちに外の世界を見せてあげたかった…」
「なぜ養子になったんですか?」
「それは僕が父の無実を信じているからです。本当の家族からは見放されてしまった父の希望のひとかけらになれればという想いからです」
「獄中にいても、自分の無実を信じてくれる人間が確実に一人はいるんだと思えれば心強いんじゃないかと…」
ぽつぽつと語る彼だが、内面からは静かにだが熱く確かに波打つ鼓動が聴こえてくるような気がした。
平沢を支え続けた武彦さんに訪れた「平沢貞通の死」
それから約2カ月後の1987年5月10日、平沢貞通死刑囚は獄中で静かに95年の生涯を閉じた。