「男社会では、女は女の味方ではなかった」
田嶋:私はもともと英文学を研究していました。学界でも発表していましたが、「何か違うな」とずっと違和感を覚えていて、ある時期に思い切って学会を飛び出したのです。この時すでに、自分の中には『愛という名の支配』(新潮文庫)の構想もありました。今まで学会が続けてきた伝統的なものの見方ではなく、女性に焦点を当てることで、それまでとは異なる新しい見方ができるようになったのです。
たとえば、川端康成の『雪国』(1937年)という文学作品を見る時も、作中に登場する駒子という闊達な女性の、実はその裏側が、葉子という対をなすもう一人の登場人物であるという見方はそれ以前にはなかったと思います。
同じ視点で、海外の文学作品を見てみると、19世紀のフランスの作家プロスペル・メリメの『カルメン』は元気のいい女性を書いた物語ですが、最後に彼女は殺される。「なぜ殺されるのか」という視点はそれまでなかったと思います。
こういった視点を持つと、「男が女をどう見てきたか」や「どう見たかったか」が見えてくる。女性も、男社会の中で生きていくためには過剰適応しなければならない。だから、フェミニズムの視点を獲得しなければ、新しくなることができなかったのです。
男性社会の中では、多くの場面で女のものの見方も男の視点に寄っている。私はこれを「父の娘」と呼んでいます。
政治家などもそうですが、男の人の数が多いと、女の人は嫌われたりいじめられたりするから、女も男と同じ目線で女を見るようになる。女も女をいじめるし、そういう時は、女も男の目線でいじめをする。男の代わりに女が女を統制する。女は女と一緒にいても苦しい。男社会の中では、女は女の味方ではなかったのです。
──本の前半部分で「ファム・ファタールは殺される」と書かれています。「ファム・ファタール」とは何でしょうか。なぜ殺されてしまうのでしょうか。
田嶋:ファム・ファタールとは、男が惹かれる魅力的な女性のことです。ファム・ファタールが殺されるのは、そこに至るまでにはそれぞれの物語に経緯がありますが、最終的には彼女が邪魔になるからです。
ファム・ファタールは強くて魅力的です。それまで、女らしい生き方をしてきた女性たちは、自分のセクシュアリティやセックスを口にすることはなかった。しかし、強い女性は男と同じで、自分が好きなセクシュアリティの形で生きようとする。
だけど、男は女に自分の望むような生き方をしてほしい。セックスも自分たちが楽しい形でしてほしい。ところが、ファム・ファタールは自分たちの好きなようにセックスをする。男は慌てる。そういう女をなんとかしてコントロールしたい。
同時に、ファム・ファタールのような女性は魅力的だから捨てがたい。葛藤しながら男もだんだん強くなり、やがて女より強くなった時に、もうその女がいらなくなる。
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