智恵子の創作環境を奪った高村光太郎
──しばしば映画など見ていて、魅力的な女の人が出てくると、少し不愉快な気持ちになることがあります。いくらその女性が魅力的でも、観客である自分の恋人になるわけではない。もどかしい。いっそのこと消えてほしい。だから、観客の内なる欲求を満たすために、美しい女は最後に殺されてくれるのかと本書を読みながら思いました。
田嶋:それもある。もどかしい。自由にならない。でも、自由にしたい。結果として、自分の無能力さを突き付けられる気持ちになり、ファム・ファタールは目の上のたん瘤になってしまう。
──誰とは言いませんが、現実の社会でも、成功した魅力的な女性のスキャンダルや問題が暴かれると、集中砲火を浴びせたくなる衝動がありますよね。
田嶋:あるよね。「お前みたいな男を苦しめる女が不幸になっていい気味だ」と思うでしょ。
──1986年のフランス映画「ベティ・ブルー 愛と激情の日々」という映画についての評論では、「女の人が自己実現をするチャンスが十分に与えられていない父権制社会の中では、女性はとかく自己否定的になりがちです。ですから女が暴力的になっても、その力を他人というより自分に向けてしまうことが多いようです」「女性の暴力を抑圧の結果として描いたのは、私の知る限り、この映画がはじめてです」と書かれています。一見、女性を感情的なアニマルのように描くこの映画に不快感をお持ちになるのかと思いましたが、田嶋さんはむしろ、この映画のヒロインにリアリティを感じているようですね。
田嶋:19世紀を代表するフランスの彫刻家にオーギュスト・ロダンという人がいますね。あの人のパートナーで彫刻家のカミーユ・クローデル(1864年-1943年)は精神病院で亡くなっています。
ロダンは彼女の作品を自分のものとして発表したこともありますが、彼女を芸術家として尊重してはいなかった。彼女もベティ・ブルーと同じです。昔の才能を持つ女性には、自分に対して暴力を振るい自傷行為に至るか、精神疾患を発症する人が多い。
詩人で彫刻家として有名な高村光太郎の『智恵子抄』という詩集(統合失調症になり精神病院に入った妻で洋画家の高村智恵子との30年にわたる日々を綴った詩集)がありますが、あの詩集で語られる智恵子も同じです。夫の光太郎は彼女を深く愛したことで一見称賛されているけれど、彼女は精神疾患を発症した。
智恵子だってアーティストです。しかし、結婚したら光太郎は炊事、掃除、洗濯を全部彼女に押し付けた。今のように洗濯機も調理器もない時代です。彼女だって光太郎と同じように創作意欲を持っていた。だから、そんな環境を押し付けられたら狂うしかない。自殺も試みている。
もちろん、智恵子が女らしさを自ら演じきろうとして無理をした可能性はあります。しかし、結果として彼女は精神病院に入ることでようやく自由になった。優秀な女性アーティストがこのようになってしまう例はとても多いのです。
