西欧映画が表現した女性に対する深層心理
──スウェーデンの巨匠イングマール・ベルイマン監督の1978年の映画「秋のソナタ」では、イングリット・バーグマン演じる成功したピアニストが、晩年スランプに陥り、仕事を離れて娘の元を訪れると、今まで十分に愛情を注げなかった娘に手ひどく痛めつけられる構図が描かれています。田嶋さんの解説を読みながら、この映画には、家事や子育て以外のことに生き甲斐を見出す女性への世の憎しみが表現されていると感じました。女性が恋愛や結婚以外のことで夢を追いかけると天罰が下るといった構図は、本書で紹介されている1984年のイギリス映画「赤い靴」に通じるものも感じます。西欧社会の深層心理は、女性に家庭に入ることを強要してきたのでしょうか。
田嶋:ある時期まではそうだったと思います。でも、西欧は人権の意識が高いから、そういうことは人権の観点から問題があると判断してシステムを変える努力をしてきた。フランスだって、少子化が問題だったけれど、法律を変えて状況を改善している。でも、日本はいつまでも法律を変えられない。選択的夫婦別姓だって通らない。
「秋のソナタ」という映画にはベルイマン監督の葛藤も表現されていると思います。成功したピアニストの母が娘のところに帰るといじめられる。娘は典型的な専業主婦で、自分の論理で母親を責める。堪らなくなった母親は逃げ出す。もしかしたら、ベルイマンの育った家庭にも、ベルイマンと彼の母親の間にこれに似た確執があったのかもしれませんね。
「秋のソナタ」は1978年の映画ですが、どうしてこの時期にこういった構造の物語が作られたのかというと、日本よりも早く、女性の自立や専業主婦の在り方といったことが問題になっていたからだと思います。その葛藤を表現したけれど、古い形のベルイマンは、どちらかというと娘の立場に寄ったのではないかと想像できます。
母を演じたイングリット・バーグマンもそれほど魅力的に描かれていなかったし、娘はすごく地味で、嫌な目で母を追及する。ヴィクトリア朝時代のような女性像です。この映画はどちらかの批判に徹しているのではなくて、悩ましい現状を克明に描いたという印象もあります。
──この映画では、主人公の娘が良妻賢母にならなかった母を厳しく批判します。なぜ、彼女は夢を追いかけた母を誇らしく思い、尊敬しなかったのだと思われますか。
田嶋:娘としてはつらい子ども時代だったのでしょう。寂しい思いをさせた母が許せなかった。娘の中にフェミニズム的な思考はありません。「女性は自立して一人前になる」という考えはない。それを証拠に、彼女は秩序や伝統の象徴である牧師と結婚している。これもどこか彼女に偽善者めいた印象を与えています。
本当は彼女にも何かをなす夢があったのかもしれませんが、思い切ってそちら側へ立場を変えることはできなかった。複雑で、よく時代を表している映画ですね。
──「男社会の中では、女は男の理屈で女をいじめる」という先ほどのお話にも通じますね。
田嶋:そうです。女が男社会の価値観を代弁する。そうしなければ生きていけないと考えている。でも、人数が増えれば状況は変わる。日本の国会もそうです。