いまだに「穴と袋」として扱われている女性
──1983年のアメリカ映画「愛と追憶の日々」では、主人公の主婦エマの置かれている状況に、家庭に入る日本の女性たちの姿を重ねています。そして、自ら進んで専業主婦を選んだかに見えて、実はそこには「自分の人生をかけがえのない大切なものだと思ったり教えられたりしたことがないところから生まれる、自己評価の低さ」が潜んでおり、2020年代になっても、こういった側面は大差がないと書かれています。
田嶋:世間に背くのが怖いからです。「女の幸せは結婚である」と世間は言っている。だんだん少なくなってきているけれど、今だってそう言っています。政府も少子化に対して「どうしたら若い人たちにもっと結婚してもらえるか」という発想です。
ではなぜ、「シングルマザーをもっと大切にしよう」という発想で法整備しようとは考えないのか。男に頼らなくても、女性が十分に稼げたら男なしでも子どもを育てられる。かなりの数のシングルマザーは年収が低くて生活に苦しんでいます。
「子どもが大切だ」という理屈なら、シングルマザーの子どもを大切にしなければ日本の未来はない。「結婚してから子ども」という発想は終わらせなければならない。結婚して産もうが、結婚しないで産もうが、本来自由なはずです。男社会はまだ女の子宮を管理しようとしている。男の名前を残して家を守ろうとしている。
現在の日本で、女はまだ「穴と袋」として扱われている。「穴」というのはセックスの相手という意味で、「袋」はおふくろという意味です。「おふくろ」なんて言葉使っちゃいけない。まだ、家父長制の延長で発想しているのです。そうすると、「結婚はまだなの」「子どもはまだなの」と質問したくなる。

──その状況から抜け出したくないのは、そうではなかったことがないから怖いからですか。
田嶋:それは、むしろ男に聞いてみなきゃ分からない。あなたはどう思う?
──分からないです。少子化を解消するために、フランスのように「結婚しなくても子どもが持てる」あるいは「離婚も簡単にできる」「日本もそうしたらいい」と言われると、「そうだな」とは思いますが、反対する人たちはこれまでの秩序が維持できなくなると感じるのではないでしょうか。
田嶋:「どんな秩序を守ろうとしているのか」ということです。でも、そこは分からない。ただ、変えることには不安を感じる。男は思考するのが得意なのだから、自分たちの不利益に関わることだって考えなければならない。