桑畑しかなったような寒村で、蚕をご馳走にする必要もなくなったはずだ。食文化として犬や虫を食べる習慣が残ったり、それが好きな人がいたりしても、タンパク質は日本人と同じ肉食で補える。その美味さも知っている。

 裏を返せば、虫を食べる文化とはかつての貧しさが育んだ知恵でもある。それを否定するつもりはないが、増え続ける世界人口によって陥る食料不足を視野に、昆虫食を研究開発し普及させることは、食文化が貧しくなることに等しい。

飢餓への備えは必要、しかしそんな事態を誰も望んでいない

 SDGs(Sustainable Development Goals=持続可能な開発目標)とは、17のゴール(目標)を設定して成り立っている。その1番に掲げられているのが「1 貧困をなくそう」だ。

 いま日本政府が推進する「ムーンショット型農林水産研究開発事業」には、『地球規模の食料問題の解決と人類の宇宙進出に向けた昆虫が支える循環型食料生産システムの開発』とするコオロギなどの昆虫食の研究がある。ここではSDGsが掲げる2番目の目標「2 飢餓をなくそう」に紐づけている。

 日本の食料供給の脆弱性とウクライナ侵攻のような不測の事態に備えて、研究を進めることの重要性は理解できる。

 だが、世界の飢餓を無くすために日本人もコオロギを食べるのだとしたら、私には理解できない。世界がこぞって貧しくなるより、豊かになること、豊かさを持続可能とすることがSDGsの目的のはずなのに。

 昆虫食が常態化する世界など中国人も望まないはずだ。