125年ぶりの1横綱1大関となった大相撲初場所は、横綱照ノ富士が初日からけがで休場、大関貴景勝がただ一人の大関という異例の事態となった。終わってみれば貴景勝が3回目の優勝を果たし、大関として責任を全うした。上位陣の「人材枯渇」が課題となる今の角界とは対照的に、本連載で取り上げている約30年前の「若貴時代」には、数々の個性的な力士が躍動した。第3回目となる今回は、若貴(横綱若乃花と横綱貴乃花の兄弟)よりも素質的には上という評価もあった貴ノ浪、続く世代の先頭に立った千代大海を取り上げる。
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(長山 聡:大相撲ジャーナル編集長)
角界屈指だった頭の回転の速さ
平成6(1994)年初場所後に武蔵丸と貴ノ浪が大関に同時昇進した。その後、横綱・大関の上位陣は貴乃花、曙、若乃花、武蔵丸、貴ノ浪による5人体制が何と5年間も続いた。
三役には5人の先輩の琴錦、安芸乃島、貴闘力、同世代の魁皇、武双山など、現在ならいずれも一気に大関に昇進しそうな逸材がそろっていたが、なかなか厚い壁をぶち破ることはできなかった。
この時期の横綱・大関・三役陣は、どの時代にも負けないほど充実した布陣と言ってもいい。
5人体制で唯一、横綱昇進を果たせなかった貴ノ浪だが、身長197cm、体重169kgと、江戸時代に無敵を誇った雷電とほぼ同じ体格だった。背筋力も300kgほどあり、同部屋の若貴よりも素質的には上だという専門家の声は多かった。
相撲だけではなくいろいろな分野に精通しており、頭の回転の速さも角界屈指で、当意即妙の受け答えは相撲記者にとってありがたい存在だった。
平成27(2015)年に43歳の若さで亡くなったが、もし急逝していなければ貴乃花親方のよきアドバイザーとして、貴乃花部屋消滅は回避できたのでは、と今でも惜しむ声は多い。