それでも明るさは失わず、小結だった平成12年秋場所千秋楽に敗れ9勝止まりに終わると「勝てば2桁勝ちだった? いいじゃん。来場所から60連勝すれば横綱になれるんだから」と、あくまでも前向きだった。
同場所の12日目にはこの場所で優勝したライバルの武蔵丸と対戦したが、その前日には「勝てば殊勲賞もありますよね(笑)。そうしたら涙を流して『涙の殊勲賞』という映画を作ろうかなあ」とややマニアックな発言をした。
これには少々説明が必要だろう。様々な病気やけがで大関から陥落した名寄岩が、満身創痍の状態ながら昭和27(1952)年秋場所に敢闘賞を受賞。その4年後の昭和31(1956)年に、日活から「涙の敢闘賞」として映画化された。貴ノ浪は過去の相撲の歴史にも精通しているところを見せつけたのである。
“けんか相撲”でブレイクした千代大海
貴乃花、曙、若乃花、武蔵丸、貴ノ浪による横綱・大関5人体制は強固だったが、栄枯盛衰は世の習い。平成10(1998)年頃から新しい世代の台頭で揺るぎ始めていた。
先陣を切ったのが千代大海だ。同年名古屋場所で武双山との“けんか相撲”で一躍ブレイク。そのままの勢いで翌11年初場所には2敗で千秋楽を迎え、1敗の横綱若乃花と優勝をかけて対峙した。
本割は突き落として両者2敗で並んだ。優勝決定戦では押し込んだものの土俵際で若乃花にはたかれ同体取り直し。今度は左四つになり若乃花が有利かと思われたが、千代大海はすくい投げから若乃花を寄り倒して初優勝を決め、場所後大関に昇進した。
ツッパリ少年からのサクセスストーリーは世間の耳目を集め、各ワイドショーで連日放送された。地元大分の凱旋パレードには市の約3分の1にあたる15万人が沿道を埋め尽くすなど、千代大海人気はピークに達した。