若貴が曙と競って出世の階段を上がったように、貴ノ浪は武蔵丸をライバル視した。2人は幕内、そして大関と同時昇進を果たした。武蔵丸がアメフト経験者ということもあり、米国のサンノゼ巡業ではアメフトに挑戦。「相撲でもヘルメットをつけたいね。頭からいく時にちょうどいいから(笑)」
明るい性格のため、二子山の“宴会部長”の異名も取っていた。当然、カラオケの場でも「誰に迷惑かけようが、構わずガンガンに歌っていた」と盛り上げ役に徹していた。
しかし、ある時を境にほとんど歌うのをやめたという。
「出世していくうちに、歌のうまい人と多く知り合いようになり、『あれ、ひょっとしてオレって歌はうまくないのでは』と、突然気づいたんです(笑)」
もちろん周囲には常に歌うことを勧められ続けたが「『強くなるためには好きなものを断たなければいけないので、今カラオケ断ちをしているんです』とか言うんですよ(笑)。もちろんそんなのウソですけどね(笑)」とうまく断っていたという。
懐の深さは天下一品
曙や武蔵丸などハワイ勢の威力ある突っ張りにはやや苦戦を強いられたが、相手に十分になられても抱え込んで逆転できる足腰の良さと懐の深さは天下一品だった。本人もスケールの大きい相撲には誇りがあったようだ。
「まあ、オレの強さは分かる人に分かればいいんです。マニア受けなんですよ(笑)」
「(小城錦のもろ差しの猛攻をしのいで勝ち)僕としては面白い相撲を取っているんですけど、誰も評価してくれませんね(笑)。これが本当のサーカス相撲。でも、こんなデカイ、ピエロはいないか(笑)」
「(琴錦に絶好の体勢になられるも、左小手投げで下し)オレってすごいと自分でも思いますね(笑)。まあ、1人ぐらい変わった相撲を取るヤツがいてもいいでしょう」
「(魁皇を寄り切り)左が入ったので、向こうが力を出す前に速く攻めた。オレは頭脳派なんですよ。一見、そうはみえないけど(笑)」
時には口が滑りすぎる時もあった。