また、突き押しだけで横綱になるのは難しいことを指摘してみた。

「オレがその常識をくつがえして、突き押し横綱第1号になるよ。でも、今はいいけど、27、28歳になると、スタミナ維持のため四つ相撲を取らなければならないかも知れないけどね。まあ、突き押しにこだわるのはオレのポリシーだから。横浜ベイスターズの三浦投手(当時、現在は横浜DeNAベイスターズ監督)がリーゼントをやめたら、オレも四つ相撲になるかも(笑)。ポリシー対決だね(笑)」

 そして好きな食べ物は「オレはあんまり肉が好きじゃない。魚介類が好きだね。今どきの若者はあまり魚介類を食べない? 最近の若いヤツは子供だからね(笑)。それにいい魚介類を食ってないんじゃないの」。

 この時の千代大海はまだ弱冠22歳だった。

悲願「突き押し主体の横綱」にはなれず

 千代大海はその後2回の優勝を果たしたものの、結局、悲願だった突き押し主体の横綱にはなれなかった。四つ相撲に比べて、どうしても安定感に欠けるところがあるからだ。

 立ち合い踏み込みがいいとあっという間に相手力士を土俵外へ運ぶ馬力には定評があった。平成12年初場所12日目には、右前まわし左差しで闘牙を一蹴。負けた闘牙が、「イテー、大関にかまされた時、大関の頭が胸の下に当たって息ができなかった。風呂場でくしゃみをしたら、死ぬかと思ったよ。逆に背中からグッと押したら直るかなあ(笑)」というほど威力があった。

 現在の貴景勝もそうだが、常に立ち合いで思い切ってぶちかましていると、どうしても首を痛めやすい。

 相手の体勢があまりに低い時には、立ち合いで変化することもあった。平成12年秋場所10日目には、千代大海は立ち合い右へ変わっって雅山をはたき込んだ。わずか0秒5の決着。大関同士の対戦とあって館内には不満そうな表情を浮かべるお客さんもいた。

 千代大海は、翌11日目の栃乃花戦では、頭で当たってから徹底した突きで押し倒した。

「今日はブーイングがないような相撲を取ったよ。仕切っている途中、中年のお客さんが『変わるなよ』って言っていたんだ(笑)。それで真っ向勝負で勝ったら『それが相撲道だ』なんて言っていたよ(笑)」

 相撲の質(たち)からやや興奮気味に取っているように見えるが、冷静な面もある力士だった。