平成11(1999)年夏場所2日目に土佐ノ海を引き落とし、対戦成績を16勝4敗とした時には「ここ数場所、いつも相手が出てくる勢いを利用して引き落としとか、肩透かしで勝っている。この際、バレるまでやってやりますよ(笑)。でも、(土佐ノ海も)いい加減分かれよ、という感じもありますけどね(笑)」と一刀両断。
これにはさすがの土佐ノ海も奮起したようで、翌名古屋場所初日には一気に貴ノ浪を押し出して「このところ、はたかれて負けているので、今日は体を密着させていきました」と学習効果を強調。負けた貴ノ浪は「今日はNHK(相撲中継)の解説が北の富士さんだったでしょう。オレ、北の富士さんの時はめちゃくちゃ勝率が悪いんですよ(笑)」と、なぜか北の富士さんのせいにしていた。
足首の負傷に悩まされる
取り口や言動から豪快な人柄に見える貴ノ浪だが、本人は否定した。
「いや、結構ナイーブなんですよ(笑)。『気にしない、気にしない』なんて強調すること自体、めちゃくちゃ気にしている証拠ですからね(笑)。だからゲンとかもよく担ぐタイプです。土俵入りが終わって支度部屋に入るまで化粧まわしを外しちゃダメとか、支度部屋を出るのは左足からとか、体は大きいですけど、細かい、細かい(笑)。九州場所もパンツは3枚しか替えてない(笑)。勝っていてゲンがよかったので、3枚のローテーションでしたよ(笑)」
その上、毎年花粉症にも悩まされ「目薬、うがいなどの薬代が大変。NASAの宇宙服で場所入りできないかなあ(笑)」などとも話していた。
貴ノ浪は、日本人としては破格のスケールを誇ったが、(相手の攻めを)受ける相撲が多かったため、足首の負傷に悩まされた。平成11年九州場所で大関から陥落。関脇となった翌12年初場所で10勝を挙げ、大関に返り咲いたが、春場所、夏場所と連続で負け越し再び大関を陥落し、以後二度と復帰することはなかった。