王伝福CEOは、1966年2月に、安徽省の貧農家庭に生まれた。湖南省長沙の中南大学冶金学部を卒業。北京有色金属研究所で修士号を取得し、同研究所で金属を分析する研究者だった。
この頃、中国で一世を風靡していたのが、米モトローラの携帯電話だった。今後、中国で携帯電話が大量に普及していくと見込んだ当時29歳の王は、携帯電話のバッテリー電池を作る会社を創業した。これがBYDである。
「賭け」に勝った王伝福
私は5年前に、深圳のBYD本社を訪れ、王CEOと、その側近でエンジニア出身の丁海苗副社長(2000年入社)を取材した。彼らは、いまから約20年前の日本にまつわるエピソードを話してくれた。
「当時、私たちは自動車産業への進出をもくろんでいました。その際、行ったのが、ダイハツのシャーリーを解体して、自動車の構造を徹底的に研究することでした。日本車は、深く内部構造を理解すればするほど、その精巧さに感銘を受けたものです。
2003年、われわれは一つの重要な決断をしました。それは、このまま自動車の開発を続けていても、永遠に日米欧のメーカーにはかなわないと結論づけたのです。それよりも、わが社の得意分野は電池です。それならば、電池を動力にして走る電気自動車(EV)を開発することにしたのです。
これは大きな賭けでした。もしも将来にわたって、ガソリン車の時代が継続していくなら、私たちは敗北者になります。しかし、EVが主流となる時代が到来した暁には、BYDは世界の先駆者になれるのです。その時は、もしかしたらトヨタがコダックになるかもしれません」
コダックは、世界最大のカメラフィルムの会社だったが、今世紀に入りデジタルカメラの時代が到来し、淘汰されてしまった。そのデジタルカメラでさえ、いまやスマートフォンの出現によって淘汰されつつある。