私は中学2年生くらいからこの欄に投稿していた。さらに遡ると、小学校高学年からハガキに似顔絵を描いては、『月刊明星』やら『ロードショー』やらに投稿していた。年齢の割にうまかったのだろう。結構な頻度で掲載されていた。おそらく選んでいるのが編集者なので、「十代前半の子どもが描いているなら載せてあげよう」くらいに思ったのではないか。他誌では4コマ漫画の投稿も常連だったので、ちょっと天狗になっていた。

「山藤章二の似顔絵塾」の存在を知ったのが中2くらいで、「いっちょ出してみるか」と思って投稿を始めたのだが、全く載らない。選者の山藤章二氏は、間違いなく日本一の似顔絵描きだ(もしかしたら世界一かも)。「子どもだから」みたいな割り増し評価はまるでないのである。

似ているだけではダメ

「似ている」のは当然で、勝負はその先の「いかに人の心を動かすか」。山藤氏の厳しい評価をかいくぐって似顔絵塾に初入選したのは、半年後くらいだったと思う。初掲載は女優の桃井かおりの横顔だった。

「横顔の似顔絵」というのは正面から書くよりも格段に難しい。彫りの深い外国人俳優ならともかく、日本の女優を横顔で「似てる」と思わせるのは至難の技だ。その桃井かおりの横顔似顔絵は、半ば偶然描けたものだったが、山藤氏も絶賛で私は似顔絵塾にデビューした。

 似顔絵塾には「特待生制度」があって、年に何人か、常連組の中から「特待生」の称号が与えられる。初掲載されたら、次の目標は特待生だ。

 一時、投稿に疎遠だった時期もあったが(大学生から社会人の初期)、20代後半に再び投稿熱が高まり、本気で特待生を取りに行った。そして、1995年11月、27歳のときにめでたく特待生に選ばれた。

 この事実は、バックナンバーを躍起になって調べても見つからない。なぜなら社会人になってからは、本名の宮沢洋ではなく「宮沢葉」というペンネームで出していたからだ。自分が出版社勤めなので、他社の雑誌を盛り上げているのがバレたらまずいのではないかという小心者の判断だ。もう出版社を辞めたので時効だろう。

掲載数が限られる紙メディアだから「鍛えられる」

 この記事で何が言いたいかというと、私自身がこの似顔絵塾で鍛えられたのと同じような役割を、日本の建築雑誌は果たしてきた(今も果たしている)と思うのである。