(英エコノミスト誌 2022年9月3日号)
州を適切に機能させられるのは選挙制度改革だけだ。
「州」が違えば「衆」の考え方も大きく違ってくる。カリフォルニア州は8月25日、ガソリン車の新車販売を2035年以降は禁止すると決めた。
自動車産業の姿を変え、二酸化炭素の排出量を削減し、かつ同州の電力網に大きな負担をもたらすことになる政策だ。
同じ日にテキサス州では、あらかじめ設定した条件が満たされると自動的に発効する「トリガー法」により、人工妊娠中絶が受精の瞬間から禁止された。
レイプや近親相姦による妊娠であっても例外にはならない。中絶手術を行った者には最長99年の懲役刑が科される。
政策の実験室、文化戦争を戦う場に
この2つの出来事は無関係に見えるかもしれないが、どちらも重要なトレンドの現れだ。
首都ワシントンはおおむね膠着状態にあるのかもしれないが、州政府は矢継ぎ早に政策を打ち出している。
理屈のうえでは、これは悪い話ではない。米国には50もの州があり、どの政策がうまくいくか、どれがうまくいかないかテストする実験室が50室ある。
人は自分の希望がその土地のルールに反映されている場所に住むことができ、企業も同じように操業する場所を選べる。
実際、新型コロナウイルスのパンデミックの際には多くの企業がそうした選択を行い、行動制限の少ない州に移転することがその典型となった。
また、税負担の重さと公的サービスの気前の良さについては、それぞれの州が独自のトレードオフを決められる。
学校教育や事業規制に優れた州があれば、ほかの州がそれに学ぶこともできる。
悲しいかな、今日の州の政治家たちが追い求めているのは、このように建設的な連邦制ではない。
それどころか、この政治家たちは文化戦争を戦っている。
学校の教室で議論してもよいのはどんなことか、銃の購入・所持をどこまで容易にするか、自分はトランスジェンダーだと認識している10代の若者にはどんな医療行為を行えるのか、不法移民はどんな給付金の受給申請ができるのか、といったことを決めている。
こうしたことが問題になる時、民主・共和両党の熱心な支持者は憤激し、道路の補修や税制の調整について議論する時には見られない怒り方をする。
穏健派の人々なら、そんなに怒らずにもっと道路を直してほしいと思うかもしれないが、州の政治家の多くはそうした意向を無視することができる。