自転車やボートで逃げてくるロシア軍占領地域の住民

 ロシア軍の占領地域からは多くの住民が自転車で逃れてきた。セルギーが見せてくれた写真には車イスも写っていた。自転車は1000台以上回収された。子供3人を含む14人を乗せたボートがドニプロ川を渡って逃げようとしてロシア軍のミサイル攻撃を受けたこともあった。13歳の子供と大人4人が死亡。残り9人は負傷したものの、何とか逃げおおせたという。

避難してきた住民が乗り捨てた自転車(セルギー氏提供)

「政府で働いていた頃、訪日し、大阪商工会議所で“日本には不吉な4のつく部屋はない”と聞かされたことがある。私も44歳になって4が2つ重なり、悪いことが起きるのではと心配していたらロシア軍が侵攻してきた。14~16歳の少女がロシア軍にレイプされるなど、子供たちは口にはできない恐ろしい目に遭っている」とセルギーは深くため息をついた。

 避難民支援センターには高齢者や子供連れの家族が目立つ。ウクライナ第2の都市、北東部のハルキウや東部ドンバスの都市部から逃げてきた避難民には熟練労働者が多く、避難先でも新しい仕事が見つかりやすいが、農業従事者が多いヘルソンからの避難民は仕事が見つからず、ストレスを溜め込んでいる。

支援センターで自分に合った衣服や靴を探す避難民(筆者撮影)

 支援センターの責任者ナタリア・パトルシェワ氏は「ウクライナは勝つ!」と書かれたポスターの脇に立ち、「ピーク時には1日1600人が支援センターを訪れたわ。今は300~400人ね。以前はヘルソンから避難してくる人が多かったけど、ロシア軍が境界管理を強化したため、逃げ出せなくなったの。今はセベロドネツクなどドンバスから逃げてくる人が増えている。ロシア軍が砲撃で破壊している地域からの避難民が多いわ」と話した。

支援センターの責任者ナタリア・パトルシェワ氏(筆者撮影)