(柳原三佳・ノンフィクション作家)
〈もし、ロシアに負けていたら日本海はロシアに抑えられて自由に航海できず、日本はロシアの言いなりの国になっていたことでしょう〉
ロシアによるウクライナ侵攻のニュースを連日のように目にする中、この一文が目に留まりました。
今年1月、子ども向けに出版された『小栗さま 小栗上野介』(編著/村上泰賢/東善寺発行)という本の中に記された一節です。
振り返れば、日本もかつてロシアと戦争をしていました。今から118年前、朝鮮・満州の支配権をめぐって勃発した「日露戦争」です。
東郷平八郎が小栗忠順に感謝した理由
1904(明治37)年、この戦いは日本側が旅順を攻撃したことで始まり、翌年、東郷平八郎率いる日本海軍が、日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を破り、勝利を収めたのです。
実は、この戦争の終結から7年後の1912(明治45)年夏、東郷平八郎がこんな「言葉」を残していたことをご存じでしょうか。
『日露戦争の日本海海戦でロシア艦隊に勝つことができたのは、小栗さんが横須賀造船所を造っておいてくれたおかげです』(「小栗さま 小栗上野介」より)
「小栗さん」とは、幕末、外国奉行や目付、江戸町奉行、勘定奉行などの要職を務めた幕臣・小栗忠順(おぐりただまさ/1827~1868)のことです。