終わりに

 習近平主席は、現実的な国家指導者であるが、先に述べたような壮大な夢も持つ。昨年7月に開かれた中国共産党創立100周年式典において、同主席は、中国は、アヘン戦争以来長らく屈辱の歴史を辿ったが、一世紀半を経た今、そこからようやく立ち上がり、米国に次ぐ世界第二の大国となった。残された夢は、“偉大な国民国家の復興”であり、2050年までには、この夢を実現し、中国は、米国を凌ぎ、世界のトップに躍り出る、とした。

 中国はその長い歴史から、民族の制覇は、そして世界の制覇は、武力の支え無くしては成り立たないことを十分に学んでおり、習近平主席は上記の100周年式典において、「偉大な国民国家の建設は、強い軍事力がなければ実現しない」と述べている*3。一帯一路が、党の戦略においてかくも重要な位置づけを与えられているのは、一帯一路は、この夢の実現に、経済面からのみならず、軍事面からも貢献するからである。

 この習近平主席の壮大な夢は、明確な歴史観に裏付けられている。同氏は、世界には二つの民主主義があり、一つは、米国が進める民主主義であり、もう一つは、中国が押し進める民主主義であるとする。

 前者は、選挙制に基づくシステムであり、予測不可能で、その政策に一貫性がなく、非効率で、時にとんでもない大統領や指導者を生む。

 これに対し、中国の民主主義は、共産党の指導に基づいて進められており、一貫しており、効率的で、人民の根本的利益をより直截に反映する。両者を比較すると中国式の民主主義の方がより優れたシステムであることは明らかであり、いずれ世界の潮流となる。それは歴史の不可逆的な流れであるとする。20世紀が、米国流民主主義に基づくパックス・アメリカーナであったとすれば、今世紀は、中国式民主主義に基づくパックス・サイノ(Pax-Sino:中国による平和)に基づくものになるであろうーー。

 だが、この理論には、一点、重大な論理の飛躍がある。それは、共産党による一党独裁の是非を問うていないという点であり、そこでは共産党はa prioriに正しいとされている。

 共産主義は、富の公正な分配を目指して生まれた経済体制ではあるが、その最大の皮肉は、いったんこれを実施するための組織、すなわち共産党が出来上がってしまうと、党の存続が全てに優先し、個人の権利は二の次、三の次となり、時に、個人の自由を剥奪することも是とされる。もしもそうであるとすれば、共産党主導の民主主義は、極めて危険な統治システムであり、それは個人の自由と尊厳を脅かすことになる。

 いま世界は、“組織の存続とその栄光を追求する直線的な(それゆえに効率的な)民主主義”と“個人の権利と自由を追求するが zigzaggingな道を辿らざるを得ない民主主義”との二つの陣営に分かれるが、ウクライナにおける戦いは、前者を標榜するロシアに対し、敢然と立ちあがったウクライナ国民の自由を、そして真の民主主義を求める勇敢な試みであると言えよう。

*3 2021年8月1日新華社