経済閣僚と会談するプーチン大統領、異常なほど離れている(2月28日モスクワ、写真:ロイター/アフロ)

プロローグ/2月24日、全面侵攻開始

 筆者は2月9日、JBPressに「ウクライナ侵攻で得するのは、ロシアではなく米国だ」の記事の中で、ロシア軍のウクライナ侵攻はあり得ない旨の論考を発表しました(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/68774)。

 筆者はロシア軍によるウクライナ侵攻はあり得ないと考え、そのように主張してきました。ロシア軍がウクライナに侵攻する意味も意義も大義もないからです。

 しかし、2月22日の朝目覚めたら、世界は一変していました。

 ロシアのV.プーチン大統領(69歳)がウクライナ東部2州の親露派が支配する係争地を国家承認したというのです。

 この日一日、筆者は文字通り脳死状態でした。これは明らかに2015年の「ミンスク合意②」に違反します。

 方針大転換の日はモスクワ現地時間2月21日深夜。プーチン大統領はロシア高官全員から賛意を取り付けた上で上記2州の国家承認を行う手続きを開始する予定でした。

 しかし、KGB(ソ連国家保安委員会)後輩のS.ナルィシュキン対外諜報庁長官は逡巡し、本心では反対の様子でした。

 付言すれば、未確認情報ながら、ほかにも異を唱えた人物がいた模様です。

 2月24日には米露外相会談が予定されており、その場で次回米露首脳会談の日程が協議されることになっていたので、このタイミングでウクライナ東部2州の係争地を国家承認することは無意味でした。

 なぜなら、この2州の係争地は既に実質モスクワのコントロール下にあるのですから。

 その後、事態は急速に悪化。プーチン大統領は2月24日にウクライナ侵攻作戦を発動、ロシア軍が対ウクライナ国境を越えて全面侵攻開始。

 その後の欧米側からの大規模経済制裁強化措置は当然の帰結と言えましょう。

 筆者は当初より、ロシア軍のウクライナ侵攻はあり得ない・あってはならないと考えていたので、予測は大外れ。ウクライナ侵攻は万死に値する愚行と言わざるを得ません。