しかし、尹氏が執務室と目されていた光化門の外交部庁舎が警護上の問題で不適切だという指摘が出て、大統領執務室移転の公約の雲行きは怪しくなった。

かつては自分も掲げた公約なのに

 実は文在寅大統領も、2012年と2017年の2回の大統領選挙で、いずれも光化門執務室を公約に掲げていた。

「私が大統領になったら、大統領執務室を光化門の政府総合庁舎に移転する。青瓦台は開放して国民に返したい。朝鮮総督府官邸、景武台から続いた青瓦台は、韓国の歴史において独裁と権威主義権力の象徴だった。大統領秘書室も大統領と遠く離れているため、大統領秘書室長が大統領に会うためには車に乗って行かなければならない権威主義的な所だ。光化門大統領の開幕とともに、これらの象徴を清算する」(2012年の大統領選挙運動発言中)

「青瓦台を出て、光化門大統領時代を開きます。国民といつでもコミュニケーションできる大統領になります。主な案件は大統領が直接マスコミにブリーフィングします。帰り道には、商店街に立ち寄り、すれ違う市民と気軽に対話を交わします。時には光化門広場で市民たちと大討論会を開きます」(2017年の大統領候補時代の公約集)

 だが文大統領のこの公約は、安全と警護上の問題に加え、交通統制が必須の大統領の通勤がソウル市民に迷惑をかけるという理由で実施されなかった。結局、就任2年目にして公約破棄を公式に決定した。