鹿を狩るためには彼らの本能と習性を把握する必要がある。たとえば、鹿は木の根元で眠り、未明の明け方には水を飲みに沢へ向かう。水を飲んだ後は餌探しのルーティーンが始まる。雪の下の草や熊笹などを摂取するのだ。そして、天気が良ければ陽の当たる山肌で日向ぼっこをしたり昼寝をしたりして過ごす。ハンターが往来する林道までは下りてこないこともある。夕方になると再び沢で水を飲み、山の縄張りへ戻るか、そのまま日没後は牧草地で宴会のように戯れる――鹿は一日の活動はこんな感じである。

 野山を駆ける大きな体を維持するために彼らが食べる量は半端ではない。必要な栄養を摂るためには一日中歩きまわって餌をさがし、食べ続ける必要がある。狩りをできる時間帯は日の出から日没までと決められているからか、彼らは日没とともにどこからともなく国道や県道沿いの脇にまでワラワラと姿を現す。その様は憎たらしくも可笑しい。かと思えば、われわれが車を停めることのできない国道沿いなどでは真昼間からシレ~っと群をなしていたりして、ハンターたちを嘲笑っているかのようだ。

停車できない車道脇で枯草を食んでいた、母親とはぐれた子鹿。見るからにぼろぼろで、こうなったら大抵は生き残れない(筆者撮影)
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「ちくしょー、なんで撃たれへんところによーさん(たくさん)鹿おるねん! 腹立つわあ……」

 そんな勝手なことを毎度言ってしまうのだが、鹿にとっては生き残りをかけた命懸けのゲームである。撃たれない場所を学習し、そこにある草を食むことで命を繋いでいる。日没から夜中までがエゾ鹿にとって最も活発な時間帯であるのは、夜のうちに雪の上についた何千もの足跡からわかる。

新雪についたエゾ鹿の足跡(筆者撮影)

生き残れる鹿、生き残れない鹿

 危険を回避することを学習し、安全な場所を徘徊する鹿は生き残る可能性が高い。ハンターによって命を落とす鹿は、うっかり群れからはぐれてしまったり、山の斜面を移動する際に横切った林道で見つかってしまったり、人間を見ても気持ち50~100m程度移動するくらいで佇んだままだったりして、撃たれる。運も悪いが、割りとのんびりしている印象だ。

 単独行動していることもあるが、二~三頭以上のグループや群れでいることが多い鹿。その中に一頭でも警戒心が強くて、人を見ると一目散に見えないところまで逃げる鹿がいれば、周りの鹿たちも集団心理で釣られて走るので、そのグループなり群れは命を落とすことが少ない。人間社会でも、結構ボーッとしているのにリーダーシップのある人に気に入られて引っ張ってもらい生き残るタイプがいる。長いものに巻かれるような生き方だ。

ハンターに気付いて逃げるエゾ鹿たち。真ん中の鹿は「長いものに巻かれる」タイプだと推察(筆者撮影)

 弱くて孤独な者は死に、警戒心のある強い者、そしてそれに守られる者が生き残る。悲しく思えるが、そのあたりは人も鹿も同じ。サバイバルとはそういうものだ――ウクライナで多くの人々が命を懸けなければならない過酷な現実に直面しているいま、狩猟のことを思い起こすと、ついそんなことを考えてしまう。守るべき命とは何か。自分の命はどう守るか。自分の大切な人の命を守るために何をすべきか。今、人間こそが本能を問われている。