実は、本件発生直後は、亡くなった被害者の走行ルートも、信号の色も、すべて警察の捜査結果と事実と異なっていました。つまり、生きている「加害者」の供述だけが独り歩きしてしまったのです。
もし、遺族が行動を起こさなければ、まさに「死人に口なし」のまま、被害者の一方的な過失による事故と判断されて終わっていたでしょう。
この事故で父親の仲澤勝美さん(当時50)を失った長女の杏梨さん(29)は、ショックのあまり動けなくなった母親の代わりに、家族の中心となって真実究明のため、弟や妹と共に懸命に行動を起こしました。
以下は、この3年を振り返って、彼女から寄せられたメッセージです。
3回目の父の命日を迎えて思うこと
『父が突然の交通事故で他界してから、3年になりました。
1月22日、事故の起きた時刻である18時13分に合わせて、家族、親戚で事故現場へ行ってきました。静岡県警本部の方も来てくださっていました。
この3年間、何度も、何度も、「時計の針を戻すことが出来たら」と思いました。あの交差点を通るのが、1分、いや、数秒違っていれば・・・、今も父は生きていたかもしれないのです。