もしがんになったら、どの病院でどんな治療を受けるか──。それを、あなたは想像できているだろうか。
食道がんにかかったジャーナリストの金田信一郎氏は、それを調べて考え抜いた。食道がんの場合、多くは食道の全摘出手術を提案される。だが、そのダメージは大きく、「ダンプカーに轢かれたほど」と表現される。それを知った金田氏は、がん手術による体の変化によって取材活動に大きな支障をきたすことに疑問を抱き、様々な文献を読み、医療関係者を訪ね歩き、全く違う治療にたどり着いた。
当初、金田氏は医師に言われるがまま、外科手術を受けるつもりで抗がん剤治療を受けていた。だが、医療について調べていく過程で病院を転院した上に、転院先での手術を土壇場でキャンセルし、最終的には別の治療法を選択した。自身のがん治療の体験を経て『ドキュメント がん治療選択―崖っぷちから自分に合う医療を探し当てたジャーナリストの闘病記』を上梓した金田氏に話を聞いた。(聞き手:長野 光、シード・プランニング研究員)
※記事の最後に金田信一郎さんの動画インタビューが掲載されていますので、是非ご覧下さい。
──「現代の患者は、病院側が用意した医療の上に何の疑問も持たずに乗っている。情報は最小限しか患者に伝えられていない。だから、その圧倒的な情報量ギャップによって、患者は判断や選択をする余地があまり与えられない。そして、いったんベルトコンベアに乗ったら、途中で降りることは難しい。すべてが終わると、自分の体は予想だにしていなかった状態に変わっている」と、本書のまえがきに記されています。こういった問題意識はいつからお持ちなのでしょうか。
金田信一郎氏(以下、金田):東京大学医学部附属病院(以下、東大病院)に入院していた時です。東大病院では、4人部屋に入院しました。それぞれのベッドがカーテンで仕切られているだけなので、医師が他の患者さんに治療方法を説明しているのが聞こえてくる。その内容を聞いていたら、どうも納得できない説明が多かったんですね。
例えば、私の向かいに放射線治療を受けている患者さんがいました。彼は口から食事することができないので、「胃ろう(胃への導管)」で栄養剤を送り込んでいる状態でした。
ある日彼が、回診に来た若い医師に向かって、「いつになったら口から食べられるんだ!」と怒っていた。もう自分の口から食べられる程度になっているはずなのに、思ったように回復していない、と。
怒られた若い医師は主治医に相談しに行って、「先生は、『じゃあバイパス(迂回路)かな』と言ってました」と伝えに来たんです。
「バイパス」と言われて、その患者さんは驚いていました。彼は、以前のように食べられるようになると思っていた。それなのに、口から入れた食べ物をバイパスで胃や腸に送るから、口から食べられるようにはなります、という話だったのですから。
若い医師が部屋を出て行くと、苛立ってベッドか何かを蹴り上げるような音がしました。要するに、本人が考えていたようには治っていなかった、ということなんでしょう。このやり取りを聞いて、患者の気持ちは置き去りなんだな、と思いました。
それから、ネットで食道摘出手術の手術映像を見ました。ロボットがパンパーンと食道を2箇所切って引っ張り出す。まるで自動車工場で壊れた車を修理しているようだった。それを見て、自分もこういうベルトコンベアに乗せられた実験台のネズミのように扱われるんだな、と思ったんです。
先輩記者の吉野源太郎さんから、食道がん手術の後の話を聞いたことも大きかったです。吉野さんは、私が受ける予定だった食道の全摘出手術をされたんですね。「金田、本当に大変なのは手術の後だ。これから壮絶だぞ」と言われて。食べ物が以前のように食べられないから、やわらかい食事を1日5~6回に分けて食べる。それで18キロ痩せた、と。
食道の全摘出手術後は、「体重が7掛けになる」と言われています。私は体重52キロだから、3割減ったら36キロになってしまう。そんなに痩せたら、体力がないから外出も難しい。食べても食道がないから逆流してしまうし、横になって眠れないから出張にも行けない。もう、思ったように取材活動ができない、ということですよね。
がんが取り切れたとしても、それで果たして手術が成功した、がんの治療が上手くいったと言えるのだろうか、という疑問を持ちました。